アンリ・ルソー

東京国立近代美術館でピーター・ドイグ(1959-)の個展を見た。

美しかった。

 

原色が強く見えるところもあれば、それは淡い風景のようにも感じられ、また実際にありそうな風景でありながらどこでもない風景のようでもある。幻想と現実感の狭間の繊細なバランス、そこには画家の「見る」という行為の奥深さが垣間見れた。

20世紀に複雑化されすぎた美術の世界をまた「絵画的絵画」に引き戻すNew Paintingの流れ、「21世紀的」とはこういうものか、と肌で感じるような絵画世界。

現代が誇る「画家中の画家」、という所以が分かった。

 

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ピーター・ドイグ「ガストホーフ・ツァ・ムルデンタールシュペレ」(2000-2002年、シカゴ美術館蔵)


美術史というのは、得てして「新しいものを生み出す者」と「昔は良かったと顧みる者」が繰り返して現れる。

 

交通と民族移動が盛んになり東方様式を取り入れるビザンティン様式が発達、これに反動してローマ式の建築を回帰、深化させたロマネスク様式が流行したのが10世紀~13世紀。その後、キリスト教終末論に押されて天国への渇望が大きくなり色彩の強い、尖った造形をふんだんに取り入れた芸術が13~15世紀に流行する。しかし、その後「こんな野蛮な文化はまるでゴート人の文化のようだ」としてこの美術を「ゴシック」と呼び、より均整のとれたローマ様式、ギリシャ様式の正統の復活を求めて「ルネサンス」が14~16世紀に登場する。ところが、その後に来るものはといえば、ルネサンス芸術や宗教改革の反動で、均衡や均整をより意図的に崩した、意匠、装飾の強い芸術が17~18世紀に出現する。古典を愛する人たちからはこれをポルトガル語で「歪んだ真珠」を意味する「Barroco」になぞらえて、「バロック」と呼んだ。

 

この傾向は近代までにも続く。

 

産業革命以降に、安価で大量生産される粗雑な日用品に囲まれた生活に嫌気がさして、又は旧来の生活とのバランスがとれず混乱を来して、旧来の美意識に異国風を取り入れた折衷様式「ヴィクトリア様式」や、手仕事の素晴らしさを見つめ直す「アーツ・アンド・クラフツ」運動が起こる。19世紀のこと。そして・・・

 

-特に19世紀末~20世紀初頭というのは芸術史の中でも最も面白い-

 

「カメラ」の発明により異国文化がより直接的にヨーロッパに持ち込まれ、中国風のシノワズリや日本風のジャポニスムが花を開く。と同時に、旧来の美意識であるロマン派や印象派から一歩進んで「そもそも芸術家は何をすべきか?何を見るべきか?何を考えるべきか?何を表現するべきか?芸術とは何か?」を多くの人が百家争鳴に考えるようになった結果、「新しい芸術」を意味する「アール・ヌーヴォー」や、古い伝統を否定し離れようとする「ウィーン分離派」、それにピカソ(1881-1973)らが活躍する「キュビスム」やマティス(1869-1954)らによる「フォービスム」、「未来主義」などが登壇し、ありとあらゆる「新しい創造」が試行されるのが19世紀末である。
その結果として20世紀の芸術、レオナール・フジタ(1886-1968)らが参画する「エコール・ド・パリ」やマルセル・デュシャン(1887-1968)、サルバドール・ダリ(1904-1989)らが牽引する「ダダイスム」「シュルレアリスム」、そして「アヴァンギャルド」(前衛)が生まれていくのである。

 

音楽で言えば、シェーンベルク(1874-1951)やストラヴィンスキー(1882-1971)が十二音技法、無調製、複合拍子を用いた音楽を生み出し、現代音楽への扉を大きく開けた時代である。

 


さて、アンリ・ルソー(1844-1910)。

そんな、芸術史の中でも最も大きな転換期である19世紀~20世紀の人である。

 

友人からのご紹介で原田マハ「楽園のカンヴァス」を読む。
お話は、アンリ・ルソーとその周囲、世紀末のパリに起きること、また彼の作品にまつわる美術研究家と美術館学芸員(キュレーター)の数奇な、あるいはスリリングな駆け引きの物語。
もしこの小説を読んでいないのであれば、以降はネタバレを含むことをご了承いただきたい。

 

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アンリ・ルソー「Moi-même(自画像)」(1890, プラハ国立美術館


この小説の素晴らしいところは、美術の世界に起きる様々な現象を「あぁ、ありそう」という感覚を持ってちりばめられていること、「永遠を生きる」ということの実感が具体的に描かれていること、そして何より小説として特に後半からラストに向けた盛り上がりとスピード感が読者を強い力でその世界へと引き込ませる。
美術世界を片目で眺める楽しみという点と、小説としての物語を読む楽しみという点とが、実に見事な融合を果たしている、素晴らしい作品だったと思う。

 

ただし、この本の最大の難所は「結局アンリ・ルソーという人の作った作品がなぜ凄いのか」が書かれていないこと。

 

例えばピカソを見てみよう。

それまで絵画というのはよくよく見たものの「一瞬」を切り取り、それをカンヴァスへと書き取る。カンヴァスに描かれているものは「一瞬」である。ところが、「見る」という行為には時間的な「長さ」がある。ゆっくりと長い時間をかけて見たものを、一瞬という時間にまとめて絵の中に残す。そこに「時間感覚のギャップ」がある。
ピカソはそのギャップを乗り越え、長く時間をかけてみたものを、その通りに絵に書き起こした。よって、本来同時には見えるはずのない顔の「正面」と「側面」とが同時に絵の中に出現した。そこ(絵の中)に今まで登場を許されることのなかった「時間の長さ」が発現したのである。これがピカソの革命である。「立体主義」を意味する「キュビスム」はここから来る。

 

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パブロ・ピカソ「泣く女」(1937, イギリス、テート・モダン所蔵)


では、アンリ・ルソーに戻ってみよう。

 

彼は素朴派(ナイーブ・アート)と呼ばれている。素朴派といって彼以外にぱっと誰かを思い浮かべるほうが難しいかもしれない。実に素朴に、まるで子供が描いたような絵を残している。正規の絵画教育を受けていない彼の絵は、原色的であり、平面的で奥行きに痩せ、ある意味のっぺりとしている。ところどころに遠近法による対象物の描かれる大きさの違いは崩壊しており、多くのものが「正面」を向いている。多種多様な植物が登場するが、木々に生い茂る葉の形はわりと一様的で、まるで絵本の世界のようでもある。故に、彼の絵の凄みを言葉に表すというのは、実はなかなかに難しい。

 

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アンリ・ルソー「La Bohemienne endormie(眠るジプシー女)」(1897, ニューヨーク近代美術館MoMA所蔵)


その感覚が、19世紀末のフランス芸術界で(ピカソや、詩人アポリネールのようなごく僅かの偉大な芸術家たちを除いては)上手いこと評価が得られなかったのは、理解に易い。ただ、我々は当時から今現代のこの時点に向かってくる芸術潮流を一通り知っているわけだから、当時と同じ評価を下すわけにはいかない。

 

ルソーは15歳でフランス軍に入隊し、メキシコ戦争に従軍、普仏戦争では軍曹にまでなっている。彼ほどの純真無垢な心を持った画家にとって、中南米のジャングルの色鮮やかな装飾性の強い植物、動物たちははまさに魅惑の宝庫、偉大なる先生であっただろう。普仏戦争の後パリ市の税関吏となり、そして41歳で「絵を描くこと」に目覚める。
以降、激動の世紀末芸術界で数少ないプロフェッショナルな芸術家に支えられつつ大衆の評価は得られないまま、赤貧の中絵を描き続ける生涯を送る。

 

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アンリー・ルソー「La Rêve(夢)」(1910, ニューヨーク近代美術館MoMA所蔵)


以前、初めてルソーの絵を見たとき、ベルギーを代表するシュルレアリスムの画家ルネ・マグリット(1898-1967)を思い出した。(いや、マグリットを見たときにルソーを思い出したのかもしれない。)

 

マグリットの絵は一見ありそうな雰囲気でありながら現実には存在し得ないものがある。

 

代表作「光の帝国」は夜と昼が完全に同居している。

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ルネ・マグリット「L'empire des lumieres(光の帝国)」(1953-1954, ペギー・グッゲンハイム・コレクション所蔵)


不思議な空間だ。その不思議空間に引き込まれていくような錯覚さえ覚える。

 

このような不思議空間を絵画の中に生み出すには、写実的であることの延長ではなし得なかったのではないか、ある種の見つめる目の「ファンダメンタル」化、描くことの根源へ立ち戻る作業が必要だったのではないか、と思うときがある。そこに、ルソーのような素朴派の絵画の存在、描くことへの向き合い方が少なからず影響を落としたのではないか、と想像すると、何だか腑に落ちる。

 

批評家ハーバード・リードはこう綴る。

「彼の生活にはこれといった出来事は何もなく、伝記作者は頁を塞ぐためにさまざまの逸話に頼らなければならないほどであった。これらの逸話はすべて一つの主題、彼の完全な素朴さということを例証しているのだ。私はことさら「完全な」という。(中略)ルソーが生まれつきもっている自分の性質を自覚し、それを倦(う)まずたゆまず培ってきたことは疑いないからだ。彼ほど純粋でない場合には、それはやがて衒(てら)いに終わってしまったであろうが、ルソーはいきいきとした感受性に恵まれていた。」
(「芸術の意味」ハーバード・リード・著、滝口修造・訳、みすず書房


他の画家が彼のような素朴派の「フリをして」素朴な絵を描こうとしたら、彼ほどの完璧さではないにせよ、描けたであろう。しかし、評価と釣り合わなければ簡単にそのスタイルを捨てることができよう。ルソーはそうではない、人生を最大限に生き、その間ただ真っ直ぐに「素朴」を貫き通した。ある種究極の「素朴」である。彼以外にそれを為し得た人物はいないだろう。

 

そしてその存在は、複雑になりすぎた美術を「絵画的絵画」へ引き戻す引力に大きく寄与しただろう、と思うのだ。

 

無論、抽象からポップから様々なものを包含していく21世紀美術潮流なんぞという巨象はさほどに安易に語れるものではないのだが。

 

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ジュリー・メレツ「Retopistics」(2001, Crystal Bridges Museum of American Art)


 

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トマ・アブツ「Installation view」(2018, Serpentine Sackler Gallery, London)

 

【参考】

www.artspace.com

 

しかし、デイヴィッド・ホックニーの作品などを見てみても、どこかそんな「絵画的絵画」への潮流を感じる時もある。

 

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デイヴィッド・ホックニー「芸術家の肖像画―プールと2人の人物」(1972)


そして、前述のジュリー・メレツやトマ・アブツや、その他のいろいろなものを見ても、現代アートの流れに「20世紀的なる複雑なアート」からの脱却があるようにも思えてくる。

 

そんな中にあって、ルソーのような人こそが「20世紀的なるもの」を「21世紀的たるもの」へ突き動かす陰の立て役者であったのではないだろうか、と思えてならないのである。

サントリー・サマーフェスティバル2020/オーケストラ・スペース

サントリーホール・サマーフェスティバル2020

ザ・プロデューサー・シリーズ
一柳慧がひらく~2020東京アヴァンギャルド宣言
オーケストラ・スペース

 

DAY1
高橋悠治「鳥も使いか」
山根明季子「アーケード」
・山本和智「ヴァーチャリティー平原第2部-浮かびの二重螺旋木柱列」
高橋悠治「オルフィカ」
杉山洋一指揮
読売日本交響楽団

 

DAY2
川島素晴管弦楽のためのスタディ-illuminance/juvenile
・杉山洋一「自画像」
一柳慧交響曲第11番『ピュシス』」
鈴木優人/川島素晴指揮
東京フィルハーモニー交響楽団

 

 

数週間前に武満徹の「波の盆」についてブログを書いたが、ここ何年も日本人新作管弦楽を聴き続けてきて思うのは、「波の盆」のように「何の事前知識も無く聞いて、ただその美しさに涙が流れるような音楽」に出会う事は、日本人作曲家の音楽を聴いてる限りもう無理なんじゃないかとさえ思えてきてしまう。
一つは、現代美術作品にもよく見かけられる、社会的意義の作品への持ち込みの度が過ぎる、長々といろんな事を「雄弁に語らせすぎる」というのが、毎度に気になる。そこに永遠の美は宿るのか?

 

さてはて、何の解説も読まずに聞いたらどんな感想が生まれるだろうか。

 

「鳥も使いか」平家物語っぽいね
「アーケード」可愛い声の「こんにちは」ってのが出てきた。あとピコピコしてた。
「浮かびの二重螺旋木柱列」とにかくマリンバがくっっそかっこいい
「オルフィカ」よく分からん
「illuminance/juvenile」指揮者大丈夫?
「自画像」星条旗よ永遠なれ、のやつ
「ピュシス」なんか暗い

 

 

昨年のサントリーサマーフェスティバルのジャレルによる作曲ワークショップで、「引用」を行うことで聴衆の耳はどう理解するか」という話があったように思うが、あの話はどこへ飛び去ってしまったのだろう、と思う。各曲は「作曲者の意図通りに聴衆の耳が理解することを期待している」んだな、と率直に思う。

 

特に杉山さんの「自画像」は、ここ半世紀ほどの世界各国の戦争や紛争を時代を追いながら、各国の国家や州歌などと共に見直す、という趣旨だが、その重なりは複雑に絡まるが故にその中に戦いはあまり見えてこず、後半になってまぁまぁ重厚な金管アンサンブルによる「星条旗よ永遠なれ」が出てくることで、また結末に登場する敬弔ラッパによって、どこか米国を賞賛する音楽のようにさえ聞こえてくる。バスドラムとサンダーシートが3セット、マーラーの「悲劇的」のハンマーのように世界に一撃を加えていくのだが、これ3セットだからいいとして2セットだったらそこに9.11を思い浮かべてますますアメリカ的な意味を強く感じていただろうな、と。全く作曲者の意図とは異なるが。

 

一つ前の「illuminance/juvenile」。第1楽章は「光の物理現象を音楽の中に登場させることで、暗い意味不明な現代音楽から脱却」という話だが、にしては高音と金属性質音の多用に明るさを期待しているようにも見てとれる。第2楽章は「幼年性」をテーマに、指揮者がめちゃくちゃにただ自分の好きな音だけをオーケストラに演奏させることによって、最後にオーケストラに見放される、というストーリーなのだが、子供に幼稚性を求めすぎているようにも思える。子供は子供の中での大きな世界があって到達すべき頂上がある、という目線から、もっと違う展開もできたんじゃないかなという思いが残る。

今この時代というものを思い返すと、その世界は少し籠の中の鳥のような、旧態的な雰囲気を感じる。いや、指揮者(作曲者による指揮だったが)の運動量的負担が極端に激しかったし、あれ暗譜でこなすという事も含めて、見ていて慰労したくなるのだが。

 

総じて、特に2日目は、一柳さんの新作交響曲も含めて全曲世界初演ながら「20世紀的アヴァンギャルド」へ押し戻そうとする引力の非常に強い構成だったように思う。この音楽を、この時にやるのか。日本はまだこうなのか、という不安感さえ持つ。

 

この構成にターネジか、マクミランあたりの音楽を入れたら、どんな感じになっていただろうか。

 

 

DAY1。

高橋さんの「鳥も使いか」。三絃(三味線)の恋唄弾き語りの中、どこか諸行無常の感が覆い被さってくる。指揮者が部分を区切る磬子(けいす、仏教の鐘)を鳴らすと、それぞれの部分が清められていく。そして生み出される崇高な「場」は祭りの冒頭として良い存在感を残したように思う。三絃もなかなかにかっこよかった。

 

山根さんの「アーケード」。
調製音楽、和音へのリスペクトを残したまま、街中(特にゲームセンター)で流れる音の構成をそのまま、エレクトロニクスによる「こんにちは」というキャラクターボイス、8bit音楽も要素として取り入れながら、そのカオスをオーケストラに再現する。
このサブカル的空気感の色濃い混沌は、なるほど東京らしさがある。大阪でも名古屋でも仙台でも福岡でもなく、東京らしい、少し悪臭さえも漂ってきそうな、渋谷か、新宿か、池袋か、秋葉原か、そこらへんのローカル感が見事に再現されていて、なるほどこれは「東京アヴァンギャルド」のテーマに対する回答として非常に秀逸だと感じた。山根さん凄いな、と素直に感嘆。実のところ、この曲が2日間の中で最も気を引かれた。
今年のサマーフェスティバルでは室内楽のほうで「水玉コレクションNo.4」を10年ぶりに聞いて、「こんな曲だったっけ?」「もっとラジカルな音楽じゃなかったっけ?」「なんかちょっと違和感あるな」と思っていたが、この曲を聞いて改めて山根さんの凄さを改めて理解できたように思う。

 

「浮かびの二重螺旋木柱列」。金管少なめなオーケストラと大規模打楽器群、ガムランアンサンブルとマリンバ独奏がお二方。とにかく巨大編成で、そのインパクトが凄まじい。それに引けをとらない、マリンバ独奏のお二方の鬼気迫る演奏の迫力が、まぁかっこいいこと。圧巻。

ガムランという特殊な調製を持った東洋音楽と、オーケストラによる西洋音楽、それを仲介する西洋的とも民族音楽的ともとれるマリンバ。しかし、その音楽の中には「西洋対東洋」という単純な対立構造はあまり強くない。どちらかというと、Dbの音を中心軸として高度に調和がなされている音楽。ガムラン側もそれほどに圧の強くない、キャラクターを全面に出てくるような感じでもなく、オーケストラ側もそちらに少し合わせるような展開をしていて、それらを含めて、実に上手くプログラムされている構成だと思えた。

ただ、明確な音楽的対立構造が無かったことで、逆にそういうものを期待していた人からすれば、ちょっと物足りなさもあったかもしれないが。自分としてはとても素晴らしい音楽だと思った。

 

しかし、サントリーホールの委嘱作品なのに「演奏されること、再演されることを前提としていない」曲っていうのは、なかなかロックだ。
かっこいい音楽だったけど、2度目に聞ける機会は果たしてあるだろうか。

 

高橋さんの「オルフィカ」。
これぞ、20世紀的アヴァンギャルドの代表格のといったような、割と散らかった構造を垣間見る。確かにこの曲だけ極端に古いの(1969年の作品)ではあるが。 
この曲がDAY1の最後、ということはやはり、そういう意味を持った演奏会なんだな、と意識を戻される。

 

 

DAY1の最後から、DAY2へと流れる世界観を繋いで振り返って、うーん・・・、という感覚が残ってしまった。

 

『クラング-1日の24時間』より13時間目「宇宙の脈動」/シュトックハウゼン

サントリー芸術財団主催
サントリーホール・サマーフェスティバル2020
「おかわり」シュトックハウゼン

 

カールハインツ・シュトックハウゼン
『クラング-1日の24時間』より
13時間目「宇宙の脈動」(電子音楽のための)

 

エレクトロニクス:有馬純寿


「4機のヘリコプターのそれぞれに、2人のヴァイオリン奏者、ヴィオラ奏者、チェロ奏者を分けて乗せ、離陸した後それぞれの奏者の奏でる音をコンサートホールに中継する」という「ヘリコプター弦楽四重奏曲」で有名なシュトックハウゼン。いや、演奏に29時間を要するオペラ「光」で有名、と言ったほうがいいか、はたまた、サントリーサマーフェスティバルと紐付ければ2015年に演奏された6人の歌手のための「シュティムング」が記憶に新しい、と言ったほうがいいか。あれは実に美しかった。
マントラ(2人のピアニストのための)」という曲も割と私はお気に入りで、星のようなきらめきと宇宙空間のような深遠さが同居した音空間で、こちらも拍子や調製に囚われない自由な音の流れでありながら、どこかほのかに心地よく、美しい。

 

ただ、「演奏の方針を指示した紙を提示することで作曲とする」という直感音楽など、記譜(楽譜に音を書く)から遠ざかっていく音楽、また電子音楽の取り込みなど、新しい技術の発明に伴い音楽の内容も前衛化が過激になっていき、現代音楽世界の中では特段に理解することの難しい分野の人というイメージがある。そんな作曲家、シュトックハウゼン


実はこの土日は別の「フェス」で横浜方面へ出向く予定であった。が、新型コロナの影響によりそちらが中止になり、ではサントリーホールへ行こうということになった。ただそう思い立った時にはこの日の昼公演チケットは完売しており、夜公演のこのチケットだけが入手できた。(※昼と夜ではプログラムは異なる。)
何か、サントリーホールに、というよりはシュトックハウゼンに「ちょっと来い、これを聞いていきなさい」と呼ばれたような気がした。


「クラング」。
遺作であり、未完成の音楽である。
24個の個別の音楽から構成される組曲、というよりは連作の音楽となる予定であったが、21作目までが完成され作曲者は鬼籍に入った。
その13曲目は「宇宙」の音楽。

 

器楽や声楽を伴わない、純然たる電子音楽

 

作曲者の解説「24層のメロディーによるループは、それぞれ1~24個の異なるピッチを持ち、24のテンポと約7オクターブにわたる24の音域で回転する。」(プログラムノート、松平敬・訳より)を読んでも、さていまいちピンとこない。「どういうこと?」。


サントリーホールの小ホール、ブルーローズには客席が配され(観客は1席ずつ空けて着席)、舞台上には使わないピアノ。
暗転。真っ暗なホールの中、舞台下手上方に丸いおぼろ月のような淡いライトの光。
客席を取り囲むように配置された8つのスピーカーから低く伸びる電子音がまず「開始の儀」のように鳴り響く。ゆったりとした低音から徐々に高音の方へと音が増えていく。その電子音たちは複数の層に分散されており、各層がテンポや拍子、あるいは調製、あるいは和音、あるいはメロディーといったものに囚われず、自由を得て、無作為に音の連続を前置きなく始め、回転し、そして脈略なく終わる。繰り広げられるすべての音、流れを把握することは圧倒的に不可能である。

 

ある音の高さ(音高)を持った音の流れ、塊が、左のスピーカーから後ろのスピーカー、右、前と移動していくと、音が会場をぐるっと一周したように感じる。音の連なりが異なる音高で密集するところ、音の密集が薄いところ、この濃淡が同じようにスピーカーを移動していくことで、これもまた音自身とは異なる回転する波として会場を一周していく。

 

同じ音の高さでもホルンの「ド」とトランペットの「ド」では音質が異なる。これは音高、あるいは音程(ピッチ)ではなく、その音に含まれる音波の周波数成分として高い周波数が多ければよりキンキンした煌びやかな明るいトランペットのような音になり、また低い周波数が多ければよりふくよかな曇った暖かみのあるホルンのような音になる。
この明るさ/曇りという音の性質もまた、密集とは異なる濃淡を与える。
電子音とはいえ、単純な正弦波の音ではなく、特にノイズであり、時にデチューンされ、ディプス、モジュレーションがとめどなく変わってゆく。それは時にはチェンバロのようであり、時にはオルガンのようであり、時には人の声のようでもある。

 

音が、そしてそれらが統合された「音楽」が、生き物のように実際に会場の中を脈動している。

 

「電子音響に耐性の強い人が多いであろう講習会の受講生の少なからぬ人たちが、演奏中に具合が悪くなって客席から出て行った。それぞれ異なる空間移動を伴う24層の濃密な電子音が、聴き手の平衡感覚を狂わせてしまうことも容易に想像できる。」(松平敬氏による解説より)

 

音の波が会場を渦潮のように飲み込んでいく。しかしそのスピードは一定ではない。
「宇宙」という言葉が与えられていれば、それは中心に置かれた惑星と周りを周回する衛星か、あるいは銀河の中心とそれぞれの星たち、というイメージと重なる。

その音の波の中に、ハープシコードのような明るさ、中央ドから1オクターブ上のドの周辺あたりの音高の一群の音たちがその銀河の回転面のよような平面の中央線を与えていてる。一群の音が一本の線となり、そこに纏わり付く回転系の音たち、それがさらに濃淡を持った複雑な回転を生み、さながらDNAの二重らせん構造のような音空間のような印象も与える。

 

松平敬氏の解説に「自分自身がミクロの世界に迷い込み、自分自身を取り囲む無数の素粒子の運動と一体化するようなイメージ」と書かれていたが、なるほどこの感覚かと腑に落ちる。


音の層が秩序なくバラバラに終わり、ある部分で「薄く」なると、「もうちょっと欲しい」という人間的な渇望感が生み出されそうになり、そこからまた音の層が新しく発生しそれが広がり、また「濃く」「圧が強く」なると、「いやもうちょっと落ち着いて」という人間理性的な抑制期待が生み出されそうになる。

という意味で、この音楽を「聞く」という作業の中に、聞き手としての自分の中に心理的な「波」の発生を覚える。

 

舞台上方にライトが一つ点っているのだが、これを目で見ていると、そのライトと音楽の因果を探そうとしてしまう。すると、会場中に繰り広げられる電子音の嵐への意識がそれまでのものから明らかな変質を及ぼしてしまい、簡単に言えば意識が音からライトへ移動してしまい、音に対する意識が若干に薄れることに、何か違和感を覚える。ライトを見ないように無理に目を閉じて、音の嵐の中にだけ意識を投影したほうがいいだのではないかと思えてくる。


この音楽は何なのだろう。
何かの音をサンプリングして組み合わせているわけでもない、どこかからメロディーを(あるいは”音楽的”要素を)「拝借」して組み込んでいるような痕跡も見られない(実際にはこの連作の一曲目の音型を使っている、とのことだが聞いてもそれが分からない)。


どんな人間の創造性がこのような音楽を実現するのか、不思議でたまらなくなる。これは「人間の創造性」の核心以外の部分を大胆にかつ極端にそぎ落とした結果の、最も純粋なものの姿なのではないだろうか、ふとそんな思いが脳裏をよぎる。まるで、ジャクソン・ポロックの絵を見ていた時に感じたもののようだった。

 

この「音楽」はその嵐のうねりの中、徐々に層が消えていき、少しずつ音がクリアに聞こえるようになって行く。最後に高音と低音の対話から高音の電子音楽ならではの素早いトリルが取り除かれ、冒頭と同じゆったりとした低音だけが1つ、2つ鳴り、30分ほどの嵐がおさまる。まるでソナタ
音楽はここで終わる。


一体何を体験したのだろうか、狐につままれたような夜だった。

 

武満徹「波の盆」/アンサンブル・ノマド

1983年に制作され、倉本聰が脚本を担った、「波の盆」という日本テレビ系のドラマがある。
太平洋戦争当時のハワイ。日本を祖国に持ちながらも祖国を裏切り米軍に協力した日系移民と、引き裂かれた日本に暮らす家族、それぞれの思いを綴った物語である。
ドラマの音楽は武満徹が担当している。

 

武満徹「波の盆」
指揮:佐藤紀雄
アンサンブル・ノマド

www.youtube.com

美しい。

 

その一言に尽きる。

 

冒頭の弦楽合奏による長い「D」の音。穏やかで、淀みなく明瞭に見事なほどに水平であり、どこまでも青い空の下、静かに佇む海の遙か彼方に望む水平線を、ただ眺めている間に心がそこに吸い込まれていくようである。

ヴィブラフォンによるやや不穏な和音の導入。0:59から入る心地よく優しさに包まれた木管。1:11から始まる弦楽合奏による筆舌に尽くし難いほどに見事に甘美な主題。後から追いかけてくるチェロの優美。その大きく波を打つテンポの揺らぎが実に甘く、切なく響く。人の心の中を波のように押しては返してくる様々な感情、思いが詰め込まれている。2:03から入るホルンによるメロディは頭の上の遙か上方を見事に広く翼を羽ばたかせて優雅に飛んでゆく。一つひとつメロディーの仕舞いがこれでもかというほどに、ゆったりとたっぷりと深く、フレーズの終わりにゆっくりとディミヌエンドし消えゆく音の中には、永遠でさえも宿るよう。「神は細部に宿る、(そして細部は全体に統合されなくてはならない)」、そんな言葉を思い出す。

 

オリジナル・サウンドトラックを担当した指揮者の岩城宏之も、その後に組曲として札幌交響楽団と録音を行った尾高忠明も、そのあまりの美しさに涙を堪えながら指揮をしたという。

 

アンサンブル・ノマドによる武満音楽の完成度の高さの「常」は、もはや何か言葉によって補強する余地もない、第一級の美しさがある。
素晴らしい。

 

 

藤原行成(ふじわらのゆきなり/こうぜい)という人がいる。
平安時代の公家であり、かの藤原道長の信頼の厚かった政務官である。と同時に、書道史の中で「三蹟」のうち最後の一人に数えられ、「和様」を完成させた人物と言われている。

 

聖徳太子のいた飛鳥時代から奈良時代を経て平安時代初期まで、日本は遣隋使、遣唐使の2つの制度により大陸から大量の文化を輸入した。それまで「音」によって伝えられてきた日本の言語・文化は、漢字の流入によって「漢字によって音を表現する」という方法論へと置き換わってゆく。

 

当時の漢字は、王羲之(おうぎし)や六朝楷書(りくちょうかいしょ)といった中国書文化を手本とする、質実剛健たる日本漢字文化である。俗に「三筆」と呼ばれる、弘法大師空海嵯峨天皇橘逸勢(たちばなのはやなり)らはいずれもこの重厚な奈良・平安初期の漢字文化を残している。

 

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「快雪時晴帖」

王羲之、4世紀、台北・国立故宮博物院蔵)

wikipediaより

 

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「聾瞽指帰(ろうこしいき)」

弘法大師空海筆、797年、金剛峯寺蔵、国宝)

https://www.facebook.com/koyasan1200/posts/1397252703661070/

 

ところが、平安時代が始まって100年ほどの894年、遣唐使が廃止されると日本は大陸文化の流入が途絶え、独自の文化が発展していくのである。武器では天国(あまくに)が「小烏丸」という刀を作り、これが大陸伝来の直刀(上古刀)から、刀身全体に湾曲を帯びる日本独自の湾刀(古刀)への変化の代表例となる。よく知られている「日本刀」の文化がここから始まるのである。

 

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「太刀・無銘 名物:小烏丸」

(天国、奈良時代末~平安時代中期、宮内庁蔵)

https://www.tsuruginoya.net/stories/kogarasumaru/

 

日本語文字文化の進化という点から見ると、漢字の流入、定着、発展という区切りが見えてくる。発展はさらに、仮名の発生、仮名の定着、そして漢字文と仮名文の融合という流れがある。まさに平安時代はこの仮名の発生から漢字との融合までの変革期であり、「三蹟」と呼ばれる小野道風(おののみちかぜ/とうふう)、藤原佐理(ふじわらのすけまさ/さり)、そして藤原行成がその立役者となる。三蹟最後に登場する藤原行成はこの漢字と仮名の書文化としての融合により、書における「和様」を完成させたのである。

 

東京国立博物館の常設展をふらふらと歩いて見ていたとき、ふと、伝藤原行成筆「大字和漢朗詠集切(だいじわかんろうえいしゅうぎれ)」が目にとまり、思わず見入ってしまった。

 

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「大字和漢朗詠集切(だいじわかんろうえいしゅうぎれ)」

(伝藤原行成筆、11世紀、東京国立博物館蔵、重要美術品)

https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/243657/1

 

連綿(文字を繋げて書く)とした仮名の中に流れるゆっくりとした、ゆったりとした時間と空間。一つ一つの文字の重心を繋ぐ、それぞれの行に浮かび上がる「線」に表れる流麗。連綿の狭間に生まれる豊かな余白。

 

仮名の中の「線」を見つつ漢字を見ると、これがまたそれぞれの字が細身ながらも存在感があり、仮名の線との対比においても漢字の線は実に高度なバランスを保って存在している。重すぎず、また軽すぎず、偏らず、柔らかに過ぎず、また堅くも過ぎず。この「面」としての完成が物語る漢字と仮名の優美で格調高い調和、このような仮名との調和を生む漢字の形状美の出現こそが「和様」なのである。
美しい。

 

「大字和漢朗詠集切」は「伝」藤原行成筆である。つまり、「言い伝えによると藤原行成が書いたらしい」ということである。真筆(本人の自筆)との判断はなされていない。ただし、筆跡鑑定の結果、平安時代の仮名作品の最高傑作と言われている「古今和歌集・写本、高野切第一種」と同じ人物による筆と見なされている。

 

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「高野切古今集(第一種)」

(伝紀貫之筆、11世紀、五島美術館重要文化財

https://www.gotoh-museum.or.jp/collection/col_04/08002_001.html

 

 

細く、繊細ながらも穏やかな緊張を持ち、そのゆったりとした流れによって生まれる余白には、奥行きの深い豊かさが広がっている。

 

アンサンブル・ノマドによる武満徹の中にも、「大字和漢朗詠集切」の書の中にも、どちらにも覗うことができる。千年を超えて対比する全く分野の異なる二つの作品だが、しかし内に脈々と流れるこういった趣こそが、日本文化の真髄なのではないだろうか。

 


【参考文献】
「書の見方」(名児邪明・著、角川選書、2008)

「特別展・和様の書」(東京国立博物館、2013)

※文献によってどちらの場合も登場するため、人物名に音読みと訓読みを併記している。

「リトゥン・オン・スキン」、「トゥーランドット」

サントリー芸術財団50周年記念

サントリーホール・サマーフェスティバル2019

 

ジョージ・ベンジャミン作

オペラ「リトゥン・オン・スキン」

George Benjamin "Written on skin"(日本初演

 

大野和士・指揮

東京都交響楽団

 

ストーリーはこうだ。

権力を持ち自尊心高い領主(プロテクター)は、あるとき彼と彼の妻に関する行いを記す「装飾写本」を作るよう、技師の少年に依頼する。領主の城内で写本は製作されていくのだが、途中、プロテクターに従順であったはずの彼の妻が装飾写本技師の少年を誘惑し、関係を持ってしまう。
初め、それは妻の姉との関係だと嘘をつくが、プロテクターにその嘘はばれ、そして少年は殺されてしまう。

 

その夜プロテクターは彼の妻に「あるもの」を食べさせる。妻は「とても美味しいが、これは何?」と聞く。プロテクターは「それは少年の心臓だ!」と言い放つ。

 

プロテクターは彼の妻を殺そうとするが、それより前に妻は「こんなに美味しいものは最早何物にも代えられない」と錯乱しバルコニーから身を投げて自らの命を絶つ。

 

最初のほうには、背後に流れる草原に佇む中世のお城の映像にチェンバロが現れたりしていわゆる中世西洋絵画における寓意のようなコンテキストが浮かび上がる(図像学的には楽器すなわち「音」とは「消えててゆく運命にあるもの」であり、それ自体が刹那的な虚栄を意味する)。オーケストラに入れられたビオラ・ダ・ガンバの音色がさらにルネサンス音楽の色彩を添え、ますますヴァニタス(中世における寓意のある静物画)の世界を醸し出す。いわゆる「意味深」。

 

今回の演奏、ネット上の感想を散見すると「視覚的にビジーだ」という趣旨の意見が多いように見受けられた。たしかに、歌手による歌とそれに伴う演技、天使を意味する2人のダンサーの動き、美しき背景映像の風景とその転換、映像の内に登場する各登場人物のダンス、そして字幕、と若干のビジーさを感じるのは否めないが、「オペラってわりとこういうものじゃないかな?」と思わなくもない。

しかし、そこを他の作品よりも濃く違和感として感じてしまうのは全体的な雰囲気として「静物画の世界」を感じ取ってしまうからではなかろうか。

 

 妻が少年を誘惑する情景は麗しい甘美さに満ち溢れながらも人間の堕落する暗黒面を漂わせる。甘く、そして暗く、重い。

核心を突くプロテクターに対し嘘でかわす少年の背後に鳴り響くバスドラムによる心拍数の高い脈拍。物語が進むにつれ、情景は徐々に緊張と恐怖の色彩に支配されてゆく。

 

その嘘がばれ、少年はプロテクターと対峙、襲われる極度の緊張と、命を奪われる衝撃。そこから絶望の淵は聴衆へ視線を注ぎはじめる。この恐怖の支配は一体何なのか。その先に何が待ち受けるのか、不安感にさえも襲われる。

 

妻に少年の心臓を食べさせる様、妻がそれを少年の心臓という事実を突きつけられてなお呟く「おいしい」という言葉は、もはや狂気の宴。妻が錯乱してゆく。どこまでも恐怖が支配し続ける。

 

妻がその身をバルコニーから投げる様を、天使は興味を持ちながらも冷めた目で見つめ、そしてその身が虚空に墜ちる姿を「まるで時がその瞬間に止まってしまったかのように」写本の中に記録し、閉じ込める。

 

ここまで来てなお、天使の冷めた目は恐怖を心に呼び起こす。そしてその瞬間に悟るのだ、「そうか、この恐怖の支配は現代社会の再現に他ならないのだ」と。

 ある悲劇を興味本意の冷たい目で見つめられる、冷たい目線の中に記録されてゆく恐怖。それは「現代社会が持つ闇」と言って過言ではない。

 

最後の最後、ラストの一音が虚空に消えてゆき、その瞬間にこのオペラが示したかった事が初めてその全貌を現したのだ。「Written on skin」、つまり「皮の上に書き込む」という行為そのものがこのオペラの主題であった事が、脳裏に呼び起こされてゆく。

 

イギリス音楽ならではのどこかスモーキーで中低音の深みが響き渡るファンタジー世界、その甘美さといい、段々と恐怖に包まれていく展開といい、都響の演奏は素晴らしかった。

 

どこか、「美とはこういうものだ」と説得されたような感覚に陥った。

 

 

 

大野和士のオペラは先日バルセロナ交響楽団と共に披露された「トゥーランドット」を見たが、そのラストも衝撃的であった。

 

■オペラの夏2019-20 JapanTokyoWorld

 

ジャコモ・プッチーニ

オペラ「トゥーランドット

 

大野和士・指揮

バルセロナ交響楽団

 

トゥーランドットの世界はこうだ。

幼き中国の姫トゥーランドットは、その母が異国の男から暴行を受ける姿を見てしまう。

いや、この時点で「トゥーランドットってそういう話だったっけ?」と思うのだが。この様相が1幕前奏のさらに前に音の無い舞台上で繰り広げられる。

美しい姫に成長したトゥーランドットは、異国の王子たちから結婚を申し込まれるが「母の受けた暴力への復讐として」、結婚を申し込んできた王子に3つの問いを出し、答えられなかった王子の首を刎ねる、ということを繰り返していた。
 
だったん国の王子カラフは、国を追われた父ティムールと彼らを慕う女奴隷リューの反対にもかかわらず、この3つの問いに挑戦することを決意する。
 
そして、カラフは見事に3つの問いに答え、トゥーランドットとの結婚の約束を取り付ける。トゥーランドットはこの名も知らぬ王子との結婚を拒否するが、父から「それはできぬ」と諭される。カラフは「私の名前が明日の朝までに分かったら、私はこの首を差し出しましょう」と条件を出す。トゥーランドットは「(名前が分かるまで)誰も寝てはならぬ」というお触れを出す。
 
朝が来るその直前、小さな女奴隷リューが名を名乗らぬ王子の事を知っていると聞きつけたトゥーランドットは、リューを尋問し王子の名を聞き出そうとする。しかし、心の奥底で好意を寄せていた王子を守るために、リューはトゥーランドットの前で自らの命を絶つ。
 
今まで愛を知らずに育ってきたトゥーランドットは、そこで真実の愛を目の当たりにするのだ。
 
夜が明け、全てが明白になり最後の音が消えて終わりを迎えるその瞬間に、トゥーランドットは自らの首を切り、その命を絶つ。

ここに来てもなお、「トゥーランドットってそういうラストだったっけ?」となってしまう。今回の、序段の母娘のシーン、そしてラストのトゥーランドット自身が自らの命を絶つシーンは今回のみの演出である。
 
プッチーニ自身は、小さきリューがその命を絶つところまでしか作曲していないわけだから、その結末がハッピーエンドか、または悲劇であるかは後世に託されている。演出家アレックス・オリエは「この物語がハッピーエンドであるはずがない」との考えから、前述のようなラストになったという。多くの人間を死に追いやってきた恐怖の姫トゥーランドットの最期は、どうであるべきか、という結論なのだろう。

 

しかし、このラストは様々な考え方ができる。

 

リューの死を見せつけられたトゥーランドットは「真実の愛とは死ぬことなのだ」と曲解してしまい、それが故に自らの命を絶った。

 

トゥーランドットはリューの行動を目の当たりにし、真実の愛を悟った。しかし、その瞬間自らが今まで行ってきた行為、自らの内側に存在する氷のように冷たい心を知ることになってしまい、そこで悟った真実の愛とのギャップに苦しみ、自らの愛を相手に伝えるためには「その冷徹さをこの世から葬り去らなければならない」と考えるようになった。

 

いや、実は最期の時までトゥーランドットは真実の愛を理解することはできなかった。ただ、敗北のみが自らの心を埋め尽くしてしまったのだ。

 

様々な解釈ができる。

終わった後に大ホールホワイエへ帰る道すがら観客がほうぼうでラストシーンについてああでもないこうでもないと話している姿は、もう演出家の勝利としか言いようがない。そこには確かに現代における「愛の姿の多様性」について観客への「問いかけ」があり、戯曲としての秀逸さが光っていた。

 

演奏も良く、バルセロナ交響楽団の少し明るく軽めな音が、この重々しいストーリーに対する聞きやすさ、見やすさの向上に絶妙にマッチしていたように思う。重すぎてはいけない。それは「イタリアオペラかくあるべき」であったのかもしれない。
また、各メインキャラクターとの協奏、トゥーランドットとカラフ、リューら主要キャラクター間のバランスが見事であったように思う。時に「2人のヒロインが存在する物語」と解説さえされることのあるこの物語において、リューはついに最期まで女奴隷であり「小さきリュー」であり、決して「私が主役」という感じを帯びてこなかった。

キャラクターへの徹し方が見事であり、それが故にさらに物語に引き込まれることができた。

 

 

奇しくも、大野和士監督オペラを2作品立て続けに見たのだが、どちらも「最後の1音が終わるまで分からない」という作品であった。

 

作曲家芥川也寸志は音楽と静寂との関係を鑑賞という観点から次のように綴っている。

一つの交響曲を聞くとき、その演奏が完結したときに、はじめて聞き手はこの交響曲の全体像を画くことができる。音楽の鑑賞にとって決定的に重要な時間は、演奏が終った瞬間、つまり最初の静寂が訪れたときである。したがって音楽作品の価値もまた、静寂の手のなかにゆだねられることになる。
芥川也寸志「音楽の基礎」、岩波新書より)

 

音楽が元来の本質としてそうであるという事実以上に、戯曲としての性格を持つ「オペラ」では、まさにそここそが、「オペラの持つ醍醐味」なのではないだろうか。

父は音楽の先生で、大学で名誉教授にまでなった人だった。

 

専門は作曲で東京藝大の出身だが、楽理(音楽理論)の先生でもあり、ピアノの先生でもあった。

 
「いつも楽しそうにピアノを弾く先生で、レッスンが楽しかった」「魔法のように素敵なメロディーが生み出される、楽しいレッスンだった」というメッセージを教え子の方から多く頂いたりした。ある時、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」をピアノで演奏した時に、どうも凄く好きな曲だったらしく、別の演奏家の方から「そんなにこの曲を楽しそうに弾かないでください」と言われた、なんていう話もあったそうだ。
父の授業を大学で受けた人からはこんな話も聞いた。「ある日、学生の一人が犬を連れて授業に現れたんです。そうしたら先生は怒るどころか、その犬と一緒に教室の中を散歩して、仕舞いには犬と一緒にピアノを弾こうとして犬の手をとったら犬にワンワンと吠えられて『怒られてしまいました・・・』としょんぼりしていたのが、強烈に印象に残っています。」 総じて「穏やか」で「楽しい」音楽の授業、いろいろなお話を聞くとそんな風景だったことが想像できた。

 

もっぱら、私が子供の頃は子供たちにも音楽家になってほしかったらしく、ヴァイオリンやピアノの「おけいこ」に通った、というより通わされていた。とても厳しくて、父が夜遅く帰ってきてから「じゃあこれから練習するぞ」みたいな事もしょっちゅうあって、たまに自分で「もう遅いから寝ました」なんて書き置きして寝たこともあった。ヴァイオリンは左手の指の指板に下ろした位置でその音高、音程が大きく左右されるが、旋律が細かくなったり重音になったりすると音程の取り方がどんどん難しくなっていって「うまくできない」がどんどん出てくる。その段階でボウイング、つまり右手で弓をどう操るかまで考えが及ばないくらい、いっぱいいっぱいだった。間違えることも多かった。そういう部分は本当は練習してカバーしていかなければいけないのだが、練習もそんな感じでイヤだったこともあって、ヴァイオリンの先生のレッスンでもうまくできなくなったりする。そうすると、それを見ていた父に腕をつねられたりして、ヴァイオリンの先生の前でポロポロと涙したこともあって先生から「あらあら、どうしたの?」と心配されたこともあった。父の音楽教育は「厳しかった」という印象があるから、教え子の方々のお話はどうにも私にとって意外だった。

 

ヴァイオリンの教則本に書かれている曲のアレンジが気に入らなかった事があって、発表会でやるのに「最後をこういう風に終わらせたほうがいい」と父が書き直して、それをヴァイオリンの先生と「そちらのほうが全然いいですね!」って盛り上がってたことがあった。元の譜面よりずっとシンプルな終わり方にになっていて、それが当時はどのくらい良くなったのかが分からなかったけど、今思えば確かにずっといい終わり方だなぁ、と感じることができる。ちなみにそのアレンジは後にその教則本に採用されていた。

 

そんな父だったので、私は小さい頃からピアニストや指揮者などいわゆる「プロの音楽家」という人を見る機会がたぶん他の人より多かったように思う。まだ私も小さかったので父と話している見知らぬ人がどういう人かもよく分からなかったが、大きくなってからそれが普通によくテレビで見る人だったりするのが分かって、「あの人はそんなに凄い人だったんだ」と思う事もあった。ある時はそれがJ-FUSIONの先駆的な人だったりということもあって、どういう関係であの時話をしていたのか、今でもさっぱり分からなかったりもする。それが良かったのかどうなのかは分からないが、そういう環境の中にあった子供だったので「あぁ、プロの音楽家ってこんな変な人ばっかりなのか」という印象を持っていたことは今でもよく覚えているし、それが自分の将来を考える時の一つの要因となったことは否定はできない。小学生ながらに「音楽家として尊敬できるかどうかと、人として尊敬できるかどうかは別問題だな」とさえ思っていた。

 

ヴァイオリンができる管弦楽部というものが私の中学にはなかったので、友人の勧誘もあって吹奏楽部に入ることになった。打楽器をやることになった経緯はあまり覚えてないが、ヴァイオリンの先生からは「あなたはリズム感がないから良いかもしれない」と言われたことは覚えている。それから高校へと吹奏楽部を続け、大学進学の時分になって、さて音楽系に進むかどうか、となった時に父から「音楽系はやめておけ」と言われたりもして、理系の大学へ進んだ。そこで私は音楽を完全に趣味の位置においた。

 

いや、私にとって打楽器はその道に進んでもよいなと思えるほどに楽しかったのだが。高校での吹奏楽部では一時期打楽器パートが私一人だったりした事もあって、そうなるといろんな曲を全部自分一人でやるために、自分の周りにスネアドラム、シンバル、ティンパニシロフォンヴィブラフォン、タンバリンやトライアングルなどの小物を全部並べて、まるで秘密基地のように楽器に取り囲まれて両手両足を使っていろんな音を出す、複数の楽譜を同時に見ながら「Solo」と書かれているのを見つけてはそれを落とさない(演奏抜けのない)ように一発バシッと音を出すのは、かなり無理矢理な演奏だったわけだが、それはそれで気持ちよかったし楽しかった。今でも、YouTubeにアップされている「Percussion Cam」という、いろんな打楽器を一人で操る姿を写した動画を見ては「楽しそうだなぁ」と思ったりもする。

 

父は、いわゆる「吹奏楽」というジャンルがよく分からない人だった。というか、後で「あまり好きではなかったのかもしれない」というお話まで聞いた。吹奏楽曲はあまり作ってこなかったし「学生からヤン・ヴァン・デル・ローストの話とかを聞いたんだが、それが誰なのかさっぱり分からない」「ディスコキッドという曲のアレンジCDを頂いたのだが、この曲は有名なのか?」という相談を受けたこともあった。とはいえ、以前ある知り合いの中学校の吹奏楽演奏会を聞きに行ったら、偶然にも父の編曲した譜面が使われていて、レアな機会に出会えたこともあった。父の作った数少ない吹奏楽曲は、実際には吹奏楽をよく知っているような見事な作品だったのも、私にとって凄く意外な出来事だった。補作があったのかもしれないが。

 

私は、中学高校から大学へと吹奏楽にどっぷりで、コンクールにも出たし、大学ではコンクールの運営人として舞台裏の住人にもなった。「吹奏楽の甲子園」と言われた普門館の舞台裏にもしばらく立って、そこで生まれた伝説も幸運にも立ち会うことができた。そんな人間だったので「コンクール至上主義」の良さも悪さもなんとなく肌で感じることができたが、父は吹奏楽というジャンルが嫌いだったというわけではなくて、本能的にそういうものを避けていたのではないか、とも思う。そういえば、私がコンクールの運営人だった時に吹奏楽コンクールの大学予選を全部聞きに来たことがあった。感想を聞いたら、まずはじめに「あれ全部聞く審査員は大変だね」という言葉が出てきた。そして、1団体ずつ細かくメモを書き込んだプログラムを見ながら、自分が感じた「良い演奏」とコンクールの審査結果が異なっていたりして、なんだか不満ともとれるような意見を聞いたこともあった。

 

父はどっぷりとクラシック音楽分野の人だったので、それこそ私も初めて買ったCDがチョン・キョンファの演奏するチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(シャルル・デュトワ指揮、モントリオール交響楽団)だったり、中学時代にはシベリウスのヴァイオリン協奏曲(演奏者不明)に出会いその魅力に取り憑かれたりして、どっぷりクラシック畑だった。その当時はまだ著作権の切れていなくて値段の高かったシベリウスの楽譜を買ってきてくれたこともあった。ただ、あるときからそんなわけで、父と私は異なる音楽経験をするようになっていった。

 
私はゲームFinal Fantasyをやったりして植松伸夫の音楽も好きになり、特にFF4の「Celtic Moon」というアレンジアルバムを聴いてケルト音楽というものに興味を持ち、ケルト神話を読んだりして、それがシベリウス音楽が持つ「スオミ」(=フィンランド)の世界観や、グリーグの「ホルベルク組曲」が持つノルウェーの深い森、自然が放つ「木の香り」のする世界感などと重なってゆき北欧文化の魅力にどんどんハマっていくのだが、父はどちらかというとシューマンメンデルスゾーンなどのドイツ音楽やフォーレラヴェルなどのフランス音楽が好きであったので、そこにも趣味の境界線が少しずつできてきたな、と感じる時期でもあった。

 

ある時、プロコフィエフのバレエ曲「シンデレラ」に、同じくプロコフィエフの「3つのオレンジへの恋」の行進曲が丸々使われていることを見つけ、他にも引用がないか、プロコフィエフの曲をいろいろ聞いていたところ、父から「お、いいね。プロコフィエフの専門家になったらどうだ?」と言われたことがあったな。あまりにも父の一言が斜め上すぎていたので、私は全く本気にはしなかったが。

 

さらに私は大学に入ってオリヴィエ・メシアンの「我死者の復活を待ち望む」(ピエール・ブーレーズ指揮、クリーヴランド交響楽団)を聞き、これが衝撃的な出会いとなり、「現代音楽」という深淵なる世界の扉を開けてしまった。それから黛敏郎シュトックハウゼン、トリスタン・ミュライユなど新しい音楽を聴き漁るようになった。無調無拍子の世界、しかしその描く表現主義的な意味論と、ジャクソン・ポロックの絵のような抽象主義的な方法論の交錯する世界の魅惑は自分にとって新しくて実に面白いものだったが、「無調無拍子でなければ音楽ではない」という世界で作曲を学んできた父にとってその世界はむしろ拒否反応さえ持つものだった。「そういう音楽(無調無拍子)、作るの得意だよ」父はよく言っていた、もちろん皮肉をこめて。武満徹や石井眞木、矢代秋雄など日本近代作曲家の話になると、よく「あの先生はあの先生の弟子で」という歴史的な話をしてくれた。

 

 
そういう話とは全く平行して、父とは様々なジャンルの音楽の話をした。

 

父はよくStevie WonderABBA、Earth Wind & Fireを聞いていたし、Earth Wind & Fireの日本公演DVDはお気に入りだったようで大学の授業で鑑賞会もしたようだ。1年ほど前に一緒に旅行した時は車の中でずっとQuincy JonesのThe 75th Birthday Celebration liveを流していたら、とても楽しそうに見入っていた。昔からBill Evansの音楽も好きで、"One For Helen"などの曲のアドリブを全部書き起こした楽譜を買ってきては見たり演奏しようとしたりしていた。私がピアノ譜をPCに打ち込んで譜面に載っていないベースラインとドラムを打ち込んでみたら、それを頼りに演奏しようとしていたようだった。Chick CoreaHerbie HancockDave Grusinのアルバムなんかを買ってくることもあって、そういうものを私も聞き、ジャズやブラックミュージックのカッコよさも知ることができた。私は高校時代に私の友人の多くがそうであったように、ルパン三世'80のビッグバンドとヴィブラフォンの組み合わせというものがカッコイイと思って、そこからMilt Jacksonの"Invitation"というアルバムを買ったことを皮切りにジャズヴァイヴの世界、そこからジャズをいっぱい聴くようになってBenny Goodman QuartetのLionel HamptonGary Burtonを聞くようになったり、Herbie Hancockの来日ライブや、Milt Jacksonが共演した「西海岸最強ビッグバンド」と呼ばれるThe Clayton-Hamilton Jazz Orchestraの来日ライブを聴きに行ったりした。Gary Burton小曽根真と一緒にクラシック音楽をアレンジしたアルバム"Virtuosi"を発見し、ラヴェルの「クープランの墓」がジャズになっているのを聞いたり、あるいは小曽根真東京都交響楽団バーンスタイン交響曲「不安の時代」を演奏しているのを聞きに行ったり、ラテンジャズのパイオニアであるMichel Camiloの自作自演のピアノ協奏曲を聞きに行ったりして、ジャズとクラシックの交差点というものの存在が確立していることを知り、それはそれで面白いなとも思ったりした。特にMilt Jacksonの音楽はジャズヴァイブの世界でも美的感覚の鋭さがすさまじく、私はその「神様」と呼ばれる音楽世界に陶酔さえした。

 

父は作曲や楽理の先生であったが、大学では10年を超えてポピュラー音楽理論ワールドミュージックの授業も行っていた。それこそ最初の頃はジャズとは何か、みたいなものも随分と専門分野外だったようであらゆる本とCDを買い込んで研究していた。私がミシシッピ・デルタ・ブルースやテキサス・ブルース、シカゴ・ブルースの曲を並べてそれぞれの違いをCDにまとめて父に渡したこともあった。「ビバップとスウィングのドラム奏法の違い」みたいな話を父とした事があって、「バスドラムの踏み方が違う」みたいな話に「それ面白い」と父が返し、やいのやいの楽しい話をした記憶がある。

 

父はそういった研究を行っていたこともあり、本当にいろいろな音楽をよく知っていた。Sérgio Mendes & Brazil '88や、Antonio Carlos Jobimもよく聞いたし、ボサノヴァのライブには連れて行ってもらったりもした。父はボサノヴァのリズム形態は8ビートベース、と言っていたがあれはサンバ・バトゥカーダがジャズアレンジされてきているものだからスローな16ビートと捉えるべきなんじゃないか、サンバとボサノヴァの繋がりはよく認識されないといけないのではないか、なんていう議論をしたこともあった。「マリアッチとはどういう音楽なのか」と説明されたこともあった。いや、質問した記憶はないが。Ravi Shankarの凄さの話から、タブラというインドの打楽器の鳴らし方の困難さと極めて複雑な拍子をとるリズム形態の難解さ、そして1曲で30分を超えることもあるその音楽の単純な長さの話になって、北インドの音楽と南インドの音楽は違うんだ、と力説されたこともあった。私が沖縄は宮古島の伝統音楽の演奏会を聞きに行き、カミウタを聞いて最後にカチャーシーを踊った、という話をすると「オタクだな」と言われたこともあったが、いやいや、と。能や狂言、歌舞伎、浄瑠璃長唄なんかもよく知っていたようだったが、私が全く知識がないもので、さっぱり話をすることはなかった。日本音楽では、雅楽の話を少しだけすることがあった。「まずは越天楽を知るべきだ」「宮内庁の演奏が素晴らしい」、そんな事を言っていたが。父の作った音楽の中には日本的な旋律を取り入れた作品もあって、いわゆる邦楽に対する一通りの分析はもう随分昔に通り過ぎたようであった。ただ仏教声明については、「天台声明と真言声明という2大声明があって」といったような話はむしろ父はよく知らないようであった。が、声明とグレゴリオ聖歌のコラボレーションCDを見つけてこれを家で流していたら「これは面白い」と言っていたことがあったな。

 

映画音楽、ミュージカルの話もよくした。テレビを見ていて、何かしらの音楽が流れると「これはベンハーの音楽」「これはスタートレックの音楽」「これはザ・ロックの音楽」「いまのはETの音楽」みたいに言い合いっこになることもあった。父からはジョン・ウィリアムズの音楽だけでなく、ジェリー・ゴールドスミスの音楽やミクロス・ローザの音楽なども知った。久石譲の音楽はむしろ「ミニマルミュージック」というスタイルのイメージが強かったようで、ジブリ関係の音楽が流れると、そんな話になることも多かった。ミニマルミュージックはあの当時の一つの流行りでもあったから、その影響も強いのかもしれない。「久石譲の名前はQuincy Jonesからきてる」なんて話は父から聞いた。僅かではあったが、大島ミチルの音楽や菅野よう子の音楽についても話すことはあった。私個人的には菅野よう子はゲーム「信長の野望」やアニメ「攻殻機動隊」、あるいは映画「紅の豚」のエンディングテーマ「時には昔の話を」なんかで知っていたが、父はNHKドラマ「ごちそうさん」や「直虎」で知ったようだから、少し情報ギャップがありつつ話ができたことはなんだか不思議な感じだった。「紅の豚」は父と見に行った映画だったが。

 
オペラ座の怪人」の音楽も好きで授業でも使っていたこともあるようだけど、アンドリュー・ロイド・ウェバーのその他の作品、「ジーザス・クライスト・スーパースター」、「CATS」なんかもよく聞いていた。むしろここらへんの音楽は父というより母が好きだったようにも思えるが。「天使にラブソングを」の劇中歌「Joyful Joyful」をアレンジしようとした時に「こんなの生楽器で出ないよ」と嘆いてたこともあったし、「オペラ座の怪人」の曲を楽譜に起こそうとしていた時に、「どこで拍子が変わるのかが分かりづらい」と言われて「ここで4拍子から2拍子に変わって、2拍子が1小節続いてから4拍子に戻る」というような事を一緒にチェックしたこともあったかな。

 

父はJ-Popsを聞いていることは少なかった。サザンオールスターズは好きだったようだが。私はゲーム音楽やアニメ音楽、そこからala、ハイスイノナサ、WEAVER、WHITE ASH、在日ファンク、レキシなどなどのJ-Pops、J-Rock、それにももいろクローバーZ有安杏果私立恵比寿中学Negiccoなどのアイドル音楽にも目覚めるようになって、アイドルライブで「イェッタイガー」って叫ぶ面白さが最近分かるようになってきた。アイドル現場における「イェッタイガー」というコールは好きな人も嫌いな人もいるが、いわゆるオタ芸を含めて、「演じる」と「聞く」の立場がクラシックコンサートやジャズライブなどにおけるそれとはだいぶ異なるバランスが要求されていて、たまにそれが崩れることがあってそれが嫌がられる原因の一つなのだろうが、奇跡的なバランスの中で両者の関係がうまく保たれている現場においては非常に力強い。が、父とはついにその分野について話すことはなかった。

 

 
音楽という分野は知れば知るほど奥が深く広い。クラシックはクラシックの楽しみ方というよりは「楽しむポイント」みたいなものがあって、それは現代音楽にも同じように「楽しむポイント」がある。同じようにジャズにはジャズの「楽しむポイント」が、映画音楽にも、インドの音楽にも、雅楽にも、ゲーム音楽にもアニソンにも、アイドル音楽にも、クラブミュージックにも、ファンクにも、ロックにも、パンクやメタルにもヒップホップにもそれぞれ「楽しむポイント」がある。ある分野にだけゾッコンとなっていて、そこからかけ離れた分野が自分にとって「面白くない」と感じるとき、それは実際に面白くない音楽であるわけではなく単に「楽しむポイントを知らないだけ」なんだと感じるようになってくる。何度も何度も聞いているうちに、例えばアイドル現場における「イェッタイガー」の在り方論みたいに、面白くなるポイントが徐々に分かってくる。現代クラシックの無調無拍子やチャンスオペレーションミュージック(サイコロを振って出た目でどの音を鳴らすかを決めるような音楽)も最初はさっぱり意味が分からなかったが、いっぱい聞いていくうちに、その中の無機的な構造性にどのような人間の感性が挿入されていくか、どのような風景や匂いが乗ってくるか、といった面白くなるポイントが少しずつ分かってくる。自分にとって新しい音楽の分野に興味を持ち、聞く、ということを繰り返し繰り返し行っていくと、「今自分の知らない音楽であっても、それは自分にとって面白くない音楽なのではなく、自分がまだその音楽の面白さに気づけていないだけなんだ」という感覚がどんどん根付いてゆく。

 

あらゆる音楽ジャンルが持つ「楽しむポイント」をかき集めてきて、それぞれのジャンルの固有な部分、そのジャンルでしか通じない部分をどんどんそぎ落として、共通に考えられるところだけを拾っていく。そうすると、最後には、全ての音楽ジャンルを包含した、最も純粋な意味での「音楽」が持つ魅力だけが残る。それは、地域や時代、人種や年齢を遙かに超越した「人間という生き物にとって大切なもの」としての音楽だけが残るのだ。

 

舞楽やお囃子、グレゴリオ聖歌黒人霊歌も、あるいはマンボ、あるいはガムランのような音楽もそうだが世界中に存在する極めて多くの音楽や舞踏が、神事や呪術、豊穣豊作や泰平あるいは死後の世界に対する「祈り」の用途をその根に抱えているわけだが、しかしそういった「用途」を超えて人間は元来として音の連続したものを楽しむという気質が備わっているのではないだろうか。極論を言えば、そうった用途がたとえ無かったとしても、音楽という文化は発生していたのではないだろうか。それこそ文字の文化が流入し成立する以前の日本に古くから受け継がれてきた「うた」の文化のように、宗教的なあるいは儀式的な意味合いよりももっと「ただ楽しむ対象として」の音の世界、あるいは音楽的な何かがあったのではないか、とさえ想像を膨らませることができる。

 

「この世の中のあらゆる人は自分が楽しいと感じる音楽の世界を持っている」という事実は、実に凄い。しかしそれは「人間にとって大切なもの」としての音楽が存在するからこそ為されるものであり、だからこそ「音楽でしか癒やすことのできないもの」を人の心に届けることができるのだ。

 

ここまできて初めて、音楽って何なんだろう、と考えるスタートポイントに立てるようになると思う。

 

このポイントまで来て音楽の話をするのは非常に難しい。このポイントで「趣味が合う」と言える人とはまず巡り会うことはできないだろう。家庭内であっても、例えば兄はシラーの詩を「下手くそ」と言い切ってしまうほどに文化芸術的なものに興味が無く、そういう意味で、父ほど多岐にわたる音楽の話ができた人はいなかったし、これからもいないだろう。

 

 
そんな父がこの2018年の10月7日に亡くなった。
父の葬儀では父が作曲したレクイエムを流した。

 

 
父が最期に聞いた音楽は、9月25日にサントリーホールで演奏されたサイモン・ラトル指揮、ロンドン交響楽団によるマーラー交響曲第9番だった。私がプレゼントしたチケットで、私は聞きに行けなかったのだが、その演奏を聴いた父は「凄かった」と興奮気味に語っていた。1~3楽章までと4楽章とで違う曲かと思うほどに、ラトルの4楽章への力の込め方が凄かった、と。私は「1楽章冒頭のファ#-ミの音型は、マーラーの前作『大地の歌』の最終楽章で『永遠に』という歌詞に付けられている音型だ」というと、「2つの作品は繋がっているのか」と応えた。そうなのかもしれない。「永遠」という音型は「ファ#ーミ-レ」であってはいけない、それでは音型として”完結”してしまい永遠とはなり得ないし、かつ安易にすぎる、あれは「ファ#-ミ」でなければならないのだ、そういう話で父と盛り上がった。

 

「生」への執着が詰め込まれた「大地の歌」から「永遠に」という言葉を介して繋がる、マーラー最後の交響曲。全ての交響曲の中で最も特別な音楽。その最終楽章は安らかなアダージョであるが、その最後は一段とゆっくりと、そして徐々に音の数も少なくなってゆき、仕舞いには第二ヴァイオリンとヴィオラとチェロだけが残りごくごくシンプルな変ニ長調の穏やかな和音が静かに響き、「青空に融けゆく白雲のように」(ブルーノ・ワルター)ゆっくりと消え、終わる。

 

父の携帯メールの履歴には、9月27日に仕事上の付き合いのある方に「命の期限が近づいているようです」と送っていた形跡があった。
迫りくる死を感じながら、この音楽が来たるべき平穏を予見するものであったら、と願う。

 

 
私は父のおかげで、「人間にとって大切なもの」を感じられるところまでやって来ることができた。
ありがとうございました。

 

雑記 - 有安杏果のこと。

我々の思想には、具体と抽象の間に無数の段階を持っている。
ある具体の層で問題が発生すれば、そこから本質と類推されるものを抽出し雑多な周辺事象を排除した一段階上の抽象の層へ上がり、そして問題を考え対応を考え、そしてまた具体の層へと降りてゆく。問題が大きければ大きいほど、上り詰める抽象の層は、よりその抽象度を増していく。

 

ももいろクローバーZ有安杏果が、引退した。
実のところ、この事件はここ数年で一番衝撃的だったし、今もってそれをうまく飲み込めているのかどうかと問われれば少し言葉に詰まる。

 

ちょうど、昨年仕事でベルギーへ行った時に「さて、芸術とは何だろう?」という問いがふと沸く瞬間に遭遇し、そこで何か思考の変遷をまとめようと思いもしたのだが、頓挫し、そうこうしている間にこの事件が起きたことで、やはりこの問いを見つめてみようというきっかけになった。タイトルに杏果ちゃんの名前を付けたのは、これを書くきっかけとなったかな、という思いも含まれている。ただ、ももクロの話はそれほど多くないので、その話を期待する方には面白くない文章だろうと思う、ということをはじめに述べておく。

 

先日、仕事でベルギーのブリュッセルへ行った。

ブリュッセルといえばEUヨーロッパ連合の本部がある街だが、かといってそんな巨大な街というわけでもない。交通の要所だったからか観光客も含めて人通りは多いが、とても路上も綺麗だし街並みも美しく、昨今の欧州の政治事情からかどこかぴりりとしている雰囲気さえ漂う。そんなブリュッセルの市街を見下ろす「芸術の丘」と呼ばれる小高い丘の上に立つのが、ベルギー王立美術館だ。この美術館がまた地上2階から地下7階まで伸びるヨーロッパを代表する巨大美術館の一つであり、「ブリュッセルに来る機会もそうそう無いわけだし、ここはちょっと寄らないとまずいだろう」と思って、休日に訪れてみたわけだ。

 

たしかに、パリのルーヴル美術館のような、まるで人類の歴史がすべてそこにあるような、「世界最大」と呼ばれることもある美術館に比べてしまえば、展示されている世界観は多少コンパクトなイメージはある。しかし、そこにはルネサンス時代の絵画、食器、キリスト教聖具などから、ルネ・マグリットに代表される現代美術にいたる様々なものがあって非常に面白い。取り立てて、ベルギー美術史はもとより西洋美術史にその名を大きく刻み込まれるベルギー・バロックの代表的な画家、「フランドル派の伝統の到達点でありその最も偉大な代表者」とも言われるルーベンスの絵画には、その美とスケールの大きさから畏怖の念に包まれ身震いさえした。

 

その絵画の単純な大きさや描かれる情景の勢い、劇的な表現、陰影の演出、人々の表情、写実性といったものの、それも見事なのだが、それらを遙か彼方上方からすべてを包み込むように降臨してくる、見る者又そこにいる何者をもを無にさえ還す、眩い光の世界にこそその凄さの核があるように感じる。ちょうど、「フランダースの犬」の物語のラストで、ネロがアントワープ大聖堂にあるルーベンスの絵画を見て息絶える瞬間のような。

 

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(ピーテル・パウルルーベンス/「Assumption of virgin(聖母被昇天)」)

Assumption of Virgin, 1616 - Peter Paul Rubens - WikiArt.org

 

神はその絵の中にいる。


直感へ訴えかけられてくる。そういえばルーベンスだけでなく、一時代古くなるラファエロの絵画や、さらに後の時代になるドラクロワの作品であったとしても、それをじっと見ている時間軸の中に「神の存在に対する圧倒的な確信」が芽生える瞬間がある。その瞬間というものは、実のところ音楽を聴いていた瞬間に感じるものとは強さの面で全くに異なる。それがバッハのマタイ受難曲であったとしても、あるいはモーツァルトのレクイエム、あるいはオリヴィエ・メシアン、あるいはクシシュトフ・ペンデレツキであったとしても。

 

なぜこのような違いを感じるのだろうか。我々は聴覚から入る情報よりも視覚から入る情報量を圧倒的に「多く」感じる生物であるから、結局的に絵画によって感じる霊感は自ずと強くなってしまう、そうであれば「絵画美術は音楽より優れている」のだろうか?もしそうであるならば、では、そもそも芸術とは何か。

 

この問いについて、一つの解を次の言葉から模索する。


「あらゆる芸術は音楽の状態を憧れる」


19世紀英国ヴィクトリア朝時代の著名な文筆家、批評家であるウォルター・ペイターが著書「ルネサンス」の中に記した言葉である。少し、この著書からの言葉を抜き出してみようと思う。曰く、

「各芸術の感覚的内容は、他の芸術の形には翻訳不可能な特殊な美の相あるいは性質をもたらし、劃然(かくぜん)と種類の異なる印象を作り出す、という原理を明確に把握することこそ、すべての本当の美的批評の第一歩となるのである。(中略)おのおのの芸術は、独特の翻訳不可能な感覚的魅力をもち、想像にはたらきかけるのにもそれぞれ特殊な方式をもち、題材に対してもそれぞれ特殊な責務を持っていることになる。批評の一つの機能は、これらの限界を規定することである。(中略)音楽においては、音楽的魅力、すなわち音楽をわれわれに伝える特定の形式とは無縁な言葉を少しも前面に押し出すことのない、音楽の本質に注目することである。」
(ウォルター・ペイター「ルネサンス」別宮貞徳訳、中央公論新社より)


「他の芸術の形には翻訳不可能」とは詰まるところ、それが例え文学的であろうとも言語表現では代替ができないことを含意してくる。20世紀を代表する作曲家であるイーゴリ・ストラヴィンスキーの言葉「音楽は音楽以外の何ものも表現しない」は、こういう文脈をも想起させる。すなわち言葉で表現している内側に音楽の真の美しさは決して表れてこないのである、と言ってしまった瞬間にいろいろな事を放棄してしまうようにさえ思えてくる。ただ、芸術とは何だろう、と考えてみる試行の中でこの示唆はきわめて重要だろう。表現者でも分析者でも批評家でもない人間が書くモノに、少しは「重み」を持たせるためには、この示唆を喉に詰め込んだ上で次の言葉を発する必要もあるのではないかと思う。


話の筋からはズレるが、このペイターの言葉の意味する芸術には科学技術の内に秘められる美が含まれているように思う。近年はフラクタルのように数理論理を視覚的に表現して美とする指向がなくはないが、しかし数理科学の本質的な美はやはり数式や論理そのものの中にあるのであり、その美しさを言葉で表現することは実に難しいなと思っていた事をふと、この言葉から思い出した。

 

閑話休題。続いて、再びペイター曰く、

「何となれば、(音楽以外の)すべての芸術にあっては、内容[題材]と形式を区別することが可能で、悟性はいつでもこの区別をなしうるのであるが、それを消そうとするところに、芸術は不断の努力を注いでいる。(中略)この芸術の理想、この内容と形式の完全な一致が申し分なく実現されているのは、音楽芸術である。至上の瞬間においては音楽では目的と手段、形式と内容、主題と表現の区別がつかない。それらは互いにかかわりあい、完全に飽和しあっている。それゆえに、すべての芸術は音楽-その完全な瞬間の状態を絶えず志向するものと想像される。」
(同)

 

ゴジラ」の音楽で有名な伊福部昭は著書の中で同じことを次のように例示してみせている。

「もしフランスの作曲家が、日本の在来ある旋律を主題、すなわち素材としたとしましょう。この場合、この作品の国籍を聴き分けることはかなり困難となるのです。これは採用された主題が、素材なのか表現の一部なのかということが、音楽にあっては極めて錯雑しているからなのです。」
伊福部昭「音楽入門」、角川文庫より)


「何が表現されているか」と「どのように表現されているか」との間に剥離不可能性が高ければ高いほど、人間は悟性ではなくより感性に近い部分でそれを感受する。悟性の動き、知性による対象に対する理解の動きが「機能しない領域」での心への突き刺さりこそが、芸術の芸術たる要素、美の美たる要素なのではないか。それを完全に実現しているものこそが、音楽なのである、と、そう見えてくる。つまり、「神の存在に対する圧倒的確信」はどちらかというと悟性の働きによるものであり、それに対して、芸術の芸術たるべき相とはそれを超えたところにあるのである、という答えらしきものが見えてくるのである。


悟性の機能しない、より感性的な知覚領域へ近づいてモノを感じる方法として、ごく最近個人的に流行っていることがある。それは「匂い」に置き換えることである。

 

「犬と小供が去ったあと、広い若葉の園は再び故の静かさに帰った。そうして我々は沈黙に鎖ざされた人のようにしばらく動かずにいた。うるわしい空の色がその時次第に光を失って来た。眼の前にある樹は大概楓であったが、その枝に滴るように吹いた軽い緑の若葉が、段々暗くなって行くように思われた。遠い往来を荷車を引いて行く響きがごろごろと聞こえた。私はそれを村の男が植木か何かを載せて縁日へでも出掛けるものと想像した。」
夏目漱石「こころ」より)


想像の内側にその風景に流れる「匂い」が入り込んでくる。同じように、絵画を見たり、音楽を聴いたりした時に、耳や目に入り込む瞬間と、何がどのように表現されているかの理解との間で「どのような匂いがそこに流れているか」を感じ取ること、これによってその世界へ自分を浸透させることができる。文学、絵画はもとより、彫刻陶芸、音楽、果ては美術刀剣においてもこれは通ずると確信する。

 

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本阿弥光悦・作/白楽茶碗・銘「不二山」(国宝))

本阿弥光悦「白楽茶碗 銘不二山」 | 骨董品LAB|骨董品、美術品、アンティーク等

陶芸品であってもその景色に流れる空気の香りを感じ取ることができる。

 

音楽ではたまに、曲の持つ匂いと演奏が持つ匂いが乖離することがある。シベリウス作品のようにフィンランドの気候をたっぷりと含んだ楽曲を、南アジア地域のようなモンスーン気候の匂いを前面に押し出して演奏されるのは、強い違和感を感じる、といったことさえある。そこにはいわゆるピッチなどといった表面的な技術上の上手い下手は関係しない。

 

時には、非人間的なほどに極端に精緻に風景が描かれていることで、その匂いがはっきりと想像できる、といったことがある。絵画であれば一つは写実性であり光と影への演出であり遠近であり、音楽であればピッチであり縦の線であり、またごくごく細かいアーティキュレーションであったりする。ただ、それは精緻であれば良いというものでもなく、例えば大きなエネルギーによる衝撃や、あるいは極端に強い、弱い人間精神の表現などにおいては、むしろ不精緻さこそがその内容を忠実に物語る上での重要な表現要素となり得る場合がある。無論緻密性の持つ価値そのものを否定するつもりもないが、だがしかし実のところ、作品の表現上の技巧的精密さといわゆる「芸術性」に直接的な関係はない。

 

1976年、当時89歳のピアニスト、アルトゥール・ルービンシュタインが指揮者ズービン・メータ、イスラエルフィルハーモニー管弦楽団と共に録音したブラームスのピアノ協奏曲第1番がある。20世紀の巨匠の最後の録音である。「精巧か?」と問われれば、「いやもっと精巧な演奏はあるだろう」と答えるが、「圧倒的か?」と問われれば、「これほど圧倒的な演奏はまずないだろう」と答えよう。

 

人間がその悟性の及ばない領域で芸術作品に感動をするには、むしろ精緻さとは違う軸での「芸術性」の評価が必要である。その一つの軸が僕個人では「匂い」なのである。

 

そういった文脈において、有安杏果の音楽は「美しい匂い」を感じる音楽だった。


芸術の、本当に魅力的な所の一つは、「人間的でなくなる瞬間」の存在であると思っている。何年も時間をかけて、無数の視覚作品、音楽を見て聞いていくと、時にその「芸術性」という指標の中に、表現者や鑑賞者の中の瞬間的な内的問題や表現の場における周囲環境などの外的問題において偶発的な要素も相まってさらに一段昇華されてくる作品の存在に気づく。非常に稀なことだが、こういった作品との対峙においては、「これは人間がその手で作っただけでは得られない世界なのではないか、神がそこに降臨したのではないか」と思えてくる。その時に芸術作品の中に人間的でなくなる瞬間が見えるのだ。これが見えるからこそ美は恐ろしい。

 

ただ、我々はよく知っているのだ、良い人間が良い作品を作るわけでもなければ、悪い人間が醜悪な作品を作るわけでもないということを。ゴッホの作品を見てそれに感動するが、後でゴッホが自身の耳を自分でそぎ落とした事件を知ると、なんと作者のことを知らなかったのだろうと、唖然とする。同じような事は多々言える。その最たるはワーグナーではなかろうか。「彼の作品の評価をするには、彼の著書の事はすべて忘れなければならない」とはよく言われたものだ。その悪名高き著書を差し引いても、ワーグナーの音楽の美しさはその光を失わない。

 

もし鑑賞者が作者のことをよく知っている、あるいは知らないといけない、と考えるのであれば、それは誤りである。芸術の核心はそこには存在しない。

 

美は、ただ美として存在しているのであり、それは人間としての作者と切り離しても、永遠に存在し続けることができる。


冒頭記述の通り、ももクロ有安杏果が卒業した衝撃でこのブログを書き始めたが、結論としてはここにある。卒業を知った時に、なんと彼女のことを知らなかったのだろう、と思い知らされたわけだし、だからこそ今この瞬間から先未来に向けての有安杏果という存在に対する何らの期待をも、実のところまた空虚きわまりなく(彼女のことを知らないのだから!)、また、そのことと彼女の生み出した作品の美しさは切り離すことができ、そして、その切り離された作品の美しさは永久に残り、末永く感受することができるのである。

 

今改めて思うが、僕がももクロの存在に惹かれたのは、こういったファインアート的な検討に耐えうる存在であったからなんだろうな、と思う。