イッセー尾形「管理人」
社会の内側に‘’存在し続けている‘’不条理に光を当てた不条理演劇。20世紀後半を代表する不条理演劇の大家と言われる、イギリスの劇作家ハロルド・ピンターの作品「管理人」がイッセー尾形らによって演じられた。
この記事では物語の結末まで記載していますので、あらかじめご了承ください。
ネタバレを好まれない方は読まないほうがいいかも。
物語はこうだ。
ロンドン。老人に散見される社会への批判的な態度と、特段に根拠の無い自信を持ち、しかしレストランの住み込みの清掃仕事に身を置く家なし老人デイヴィス。仕事の中での些細ないざこざでレストラン従業員と喧嘩になるところを、三十代の青年アストンが仲裁し、アストンはデイヴィスを自らのアパートに招き、泊める。アストンの部屋には仏像や使えないガス台、古新聞の束など、おおよそ生活感から離れたモノでごった返している。アストンはその中の壊れたランプを長々と修理し続けている。
翌朝起きるとアストンは出掛ける。デイヴィスは自分のような人間が一人で居るのはいけないと考え、自分も出ていくと言うが、アストンにここにいて良いと言われ、残る。そこにアストンの弟ミックが来る。ここは自分の家だと。アストンは居住者で、家主はミックであった。
やがて、アストンとミックはそれぞれに、デイヴィスにこの家の管理人をやらないかと声をかける。
2週間の後、デイヴィスはすっかり管理人になったが、アストンとの同居が続く。アストンが夜中に窓を開けるので、その寒さで唸るデイヴィスをアストンは眠れないと起こす。ところがデイヴィスはアストンが理由なく自分を夜中に起こす、嫌がらせを続けるとミックに訴える。話を聞かない、自分のことばかり話す(アストンは家をこれからどうしていくかという夢を語っている)、デイヴィスに見向きもしない、アストンは精神病院帰りだ!と騒ぎ立てる。確かに、家に置かれている物といいその行動といい、アストンの言動には理に適ってない側面があり、それは半分は正しいのかもしれない。
アストンはデイヴィスに管理人に向いていないという。他方、ミックはデイヴィスの語り口を信じデイヴィスが有能な装飾家だと思い込んでいたが、それが違うと分かり、出ていって欲しいと言う。かくして、二人から管理人は任せられないと突きつけられるデイヴィス。
ラスト。デイヴィスはアストンにもう一度一緒にやろう、と持ちかける。アストンはダメだと言う。窓に向かって無言になるアストン。「もし出て行けと言うのなら、出ていくよ。しかし、あたしはどうすればいいんだい?」アストンに投げかけるデイヴィス。アストンは無言。「もし出かけて行ってさ、あたしの書類(自分の身元などに関する証明書)があったら…」長い沈黙。終演。
(参考:ハロルド・ピンター全集I/新潮社/2005年)
家なし職なし老人となったデイヴィス。精神的支障を抱えるアストン。兄を支える弟ミック。社会の中に陰鬱と存在する歪みが浮き彫りになっていく。
物語のどこを見渡しても幸福らしい幸福が見つからない。じめっとした息苦しさ、薄暗さが、全てを覆い尽くしている。
不条理の演劇。
原作を読んでも、最後の瞬間まで悲壮感に支配されているとしか感じられない。
だが、しかし、どうだろう。
イッセー尾形演じるデイヴィスの、入野自由演じるアストンに語りかける、ラストの「ねぇ」。この老人は希望を捨ててはいないのだ。
そして、アストンの放つその沈黙の中には、確かに、希望の種は残された。否定の台詞が続くような沈黙の空気とは、確実に違っていた。
その沈黙に、この物語の強烈な印象が残る。
物語は全て暗く、そのどこにも希望らしい言葉は出てこない。だが、確実にこの物語は「希望」について語っているのである。それは、隅々まで全てが真っ暗な闇の中で、強くもない、意識的に目を懲らさないとその存在には絶対に気付くことのできない、薄っすらと、ぼんやりとした弱い弱い光の存在。その希望を見たのだ。
世の中に現実として存在する「希望」と言うものは、得てしてこういうものなのではないだろうか。強烈で明確な希望というものはほとんど存在しえない。ただ、見る目を持つ者が、感じ取ることのできる者が、その目を適切に使うことによってのみ、希望はその姿を静かに現す。
Quaerendo invenietis.
「求めよ、さらば見出さん」
まさに、そんな言葉の世界が、現実世界の代弁として生み出された、そんな演劇であった。
新日本フィルのベートーヴェン、読響のマーラー。
新日本フィルハーモニー交響楽団が設立50周年ということで、おめでとうございます。
その長い歴史のうち、たかだか10年くらいの定期会員ということでまだまだひよっこです。
中でも、15年ほど前に聞いたクリスティアン・アルミンク指揮のワーグナー「ローエングリン」のステージオペラの序曲は恐怖を感じるほどの美しさだったことを今も鮮明に覚えています。
あれ、あの頃は既にどっぷり定期会員だったから、定期会員は15年以上続けてることになるな。
という、そんな新日本フィルが来年から佐渡裕を音楽監督に迎えるという。
一抹の不安がよぎる。
新日本フィルハーモニー交響楽団定期
佐渡裕指揮
・リヒャルト・シュトラウス「ドン・ファン」
・バーンスタイン「前奏曲、フーガとリフス」
・ベートーヴェン「交響曲第7番」
そういえば、その前の週には井上道義指揮のサンサーンス、新実徳英「風神雷神」、ファリャ、ラヴェルという組み合わせを聞いたので、実に2週連続の新日本フィル。こちらは定期会員ではないほうの演奏会だったのだが、和太鼓奏者の林英哲が「風神雷神」をやるということで「これは聞かないと!」と思った次第。パイプオルガンの表現可能性の奥深さもあり、案の定、というと失礼だが、大迫力で絶妙にかっこよく、素晴らしい演奏だった。和太鼓のドンという衝撃が体の芯に響く感じが何とも心地良いと感じるのは、日本人的素性から来るのだろうか。
ラヴェルのボレロを何年かぶりに生で聞いたが、本当に打楽器屋泣かせだなと再認識。演奏会終わった後に撤収している最中に指揮者の目の前でスネアを叩いていた方がステージ後方の打楽器パートに戻っていくときに、打楽器パートの他の方たちから拍手で「おかえりなさい!」って迎えられていたのを見てほっこりとした。
ところで、R.シュトラウス、バーンスタイン、ベートーヴェン。
大編成のリヒャルト・シュトラウス、ビッグバンド編成のバーンスタイン、そして通常編成というかトロンボーンなどもいないのでどちらかというと小編成に寄る名作ベートーヴェン7番。
たとえば現代曲と古典を混ぜたり、北欧の曲と北米の曲を混ぜたりすると、前半の曲の「タッチ」が残ってしまって後半が荒れる、なんていうことをよく目にする。バーンスタインとベートーヴェンなんてまさにそのパターンにハマりそうだが、いや、そもそも弦楽5部含めほとんどのオーケストラメンバーはバーンスタインは「降り番」なので、そこまで荒れることはないはず、これは上手いプログラムだな、と、思った。
が、実際に演奏を聞いて、やっぱりそれでもバーンスタインの影響はベートーヴェンに残るものなのだな、と思い直した。
たとえば、ベートーヴェン7番第2楽章冒頭の木管tutti。この楽章の全体の空気感をイントロダクションするものとして、あれは果たして相応しかったと言えるのだろうか。
のっぺりした音はウォーキングベースとドラムのレガートの中に生まれる心地よい4beatグルーヴの上にあってはしっくりとくるが、ベートーヴェンに持ち込んではいけない。
とか、そういうものがちょっとずつ散見される。
どういう形態をとったとしてもバーンスタインとベートーヴェンの組み合わせというものは、食べ合わせとして良くないんだろうな、という認識が戻ってくる。
佐渡裕自身は「大編成もできます、ビッグバンドもできます、それでベートーヴェンもやっちゃいます」と語っていたが、その結果としてそういう音楽が生み出されるのであれば、かなり商業主義的に偏った音楽作りに陥っているように見られる。
そこに「不安」という所以がある。
読売日本交響楽団
井上道義指揮
・藤倉大「Entwine」
・シベリウス「交響曲第7番」
・マーラー「大地の歌」
こちらは2022年1月28日の演奏会。
随分前になってしまうが、これについて文章を書こうとしてそのままになっていた。
そもそもシベリウスとマーラーという組み合わせはどうなんだ、と始まる前は思っていた。
同時代のしかもどちらも交響曲で名を馳せた作曲家とはいえ、方や北欧でごく少ない音の組み合わせの澄み渡った詩情の中に大自然を息吹かせ、方やドイツ音楽の中でも特に大規模編成のオーケストラを駆使して重厚壮大なポリフォニーの中にこの世の全てを注ぎ込んだ。その方向性はだいぶ異なるが故に、シベリウスが崩れる、なんていう心配さえあった。
ところがどうだろう、この組み合わせの「妙」に思わず取り付かれてしまうほどの凄みを感じた。
シベリウスは生涯7つの交響曲を作っている。第5番は「白鳥が湖から大空に飛んでいくところを見た。生涯最高の瞬間だった。」というもの。静謐な弦楽で始まり静謐な弦楽による「レ」の音で終わる第6番は二短調で書かれている。二短調というのはモーツァルトのレクイエムやベートーヴェンの第九など、「死」や「旅の終わり」を暗示するものが多い。シベリウスはそのような5番、6番の後に、全てを飲み込むようなハ長調の単一楽章から成る交響曲を生み出した。すなわち第7番である。
他方、マーラーは生涯9つの交響曲を作っている。とはいえ、「大地の歌」は交響曲第9番になるはずの曲だったと言われていたり、第10番も1楽章は完成、2楽章以降もスケッチが残っている、などの状態なので、9つの交響曲というと少し違和感が残る。
そしてその中でも「大地の歌」は、交響曲第9番になる予定だった、しかし、マーラー自身がベートーヴェンやブルックナーなどの「交響曲を9曲作ったらそこで命が尽きた大作曲者」たちのジンクスを恐れてその音楽に交響曲第9番と付けることを拒否し、「大地の歌」となった、と言われている。
この演奏会で演奏される2つの交響曲にはどちらも「生」と「死」に対する作曲者の魂の叫びが込められているのである。
読響の音は、特に管楽を中心に実に艶やかであり、若々しかった。生きる力、「蘇る力」をそこに感じた。まるで長谷川久蔵の国宝「桜図」を見ているかの如く、である。
第一次世界大戦やフィンランド内戦が終わり、社会が新しい姿に向かいつつある中で作られた交響曲、しかしその作曲の途上では最愛の弟の死など、シベリウス自身にも悲劇が降り注ぐ。
シベリウスが描いた「死の先にあるもの」、交響曲第7番の中にそのような状況を背景とした強い生命力を感じたとき、この音楽が持っている本来の主題というものがようやく理解できたようにさえ感じたのである。
一方でその力というものは、マーラーの中にも湛えているのである。
天の蒼穹は 永遠にあり
大地は変わらずにあり
春を迎えて花咲き乱る
だがお前は 幾年を生きるというのか
百年と愉しむことは 許されぬもの
この大地の儚き出来事に興ずるだけ
(広瀬大介・訳)
生への執着の濃厚な絶叫の中にあって、読響の紡ぎ出す音の若々しく原色的な描き方は実に鮮やかに光る。
シベリウスにしろ、マーラーにしろ、本当はこのような「蘇る力」をこれらの曲に希求したのではないだろうか。
一見、全く異なる世界観を持つ音楽を2つ並べていて、組み合わせがミスマッチになっているように見えるが、同じ主張、同じ描き方を乗せることで、そこに筋の通ったテーマ、ストーリーが生まれる。それにハッと気づいた時に、なんという深みのある構成、描き方をしているんだろう、と深く心酔するのである。
そこに、アートたる音楽、それも作曲という行為のアートというよりは演奏という行為のアートの存在を感じた。
アンサンブル・アンテルコンタンポラン/二人静〜大地の歌
サントリーホール・サマーフェスティバル2021
アンサンブル・アンテルコンタンポランがひらく
東洋ー西洋のスパーク
●細川俊夫 オペラ「二人静」~海から来た少女~
平田オリザ作、能「二人静」に基づく
ソプラノ:シェシュティン・アヴェモ
能声楽:青木涼子
●グスタフ・マーラー 「大地の歌」(声楽と室内オーケストラ用編曲)
メゾソプラノ:藤村実穂子
テノール:ベンヤミン・ブルンス
アンサンブル・アンテルコンタンポラン
マティアス・ピンチャー指揮
「二人静」のストーリーはこうだ。
難民の少女(恐らく中東またはアフリカのどこかの国の内戦などにより難民となった少女)ヘレンが弟と共に船に乗り祖国を脱出する。
たどり着いたのは地中海。陸地を見つけ船を出て陸地を目指すが、その途中で弟とはぐれる。弟は病気を患っており、上陸する前に力尽きる。繋いでいたはずの手が、解けてしまった。
「私はどこから来てどこへ向かうのか」
呆然と陸地にたどり着いたヘレンは、ある「女の霊」に取り憑かれる。
その霊とは、12世紀・平安時代末期の日本の武将、源義経の妾である静御前である。静御前は白拍子、つまり歌舞を演じる能楽の演者であった。
静御前は源義経の子を孕むが、その義経は謀反人と見なされ兄である源頼朝と対立することとなる。結局頼朝から「生まれた子が男なら殺す」と告げられ、静御前が産んだ男の子はすぐに殺され、鎌倉・由比ヶ浜の砂浜に埋められる。
静御前は子が殺される前に頼朝によって鶴岡八幡宮にて白拍子の舞を踊るよう命じられ、次の謡を詠む。
吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき
静御前の霊は、ヘレンに「子供を弔って欲しい」と言う。
戦禍に弟を失ったヘレン、同じように戦禍に我が子を失った静御前、二人の悲劇は900年という時間と空間を超えシンクロし一つになっていく。
この物語は戦争詩である。内戦では恐らく「同じ民族同士の殺し合い」があったのだろう。それが、日本の武将が活躍した時代における「兄弟たちの殺し合い」と意味として重なってくる。そして、「同じ民族の仲間から、追われる身となる」「近しい身内を戦禍の中で失う」という境遇も重なり、その悲劇の色彩は似通ってくるのだ。
https://www.youtube.com/watch?v=ZHck3LCJ7zM
他方、マーラー「大地の歌」。
1907年、マーラーが47歳の時、悲劇が彼を襲う。7月にジフテリアによって長女マリアが4歳8ヶ月で他界。同じ頃、マーラー自身も心臓疾患を告げられ、そしてウィーンの宮廷歌劇場の音楽監督を辞任する。そんな1907年から1909年にかけて作曲されたのがこの「大地の歌」である。作曲者へ忍び寄る「死」の影に対して、生きる者としての「生への執着」が生々しく描かれる。
詩は中国の詩人、李白や孟浩然らによるいくつかの山水詩から取られているが、それだけではない。冒頭のホルンは実音で「ミラーミーレミラミー」。イ短調なのでこれは「V-I-V-IV-V-I-V」。例えば中国人作曲家呉祖強の琵琶協奏曲の冒頭の琵琶は実音で「ラララシミミー」。ホ短調で「IV-IV-IV-V-I-I」。音型は違えど、使われる音高は同じ。というほどに、中国音階への意識を感じることができる曲となっている。
19世紀末から20世紀初頭の西洋に於いては、シノワズリ(中国趣味)やジャポニスム(日本趣味)などの東洋から受ける影響への流行いわゆる「オリエンタリズム」があった。
ただ、例えばジャポニスムに関して言えば、その趣向は大きく2つの指向から成ると理解している。すなわち、ゴッホのように自分の作品の中に日本画をそのまま素材として組み込む場合(ゴッホ「タンギー爺さんの肖像」)と、ホイッスラーのように間と陰影、デフォルメのような日本画の思考や技法を自らの創作哲学に組み入れる場合。
この話を音楽に直接導入するのは無理があるが、ドビュッシーをジャポニスムの影響を受けた人と捉えた場合、日本画技法を作曲思想に組み入れたとするのは無理があるように思う。ドビュッシー的はドビュッシー的であってそれ以上も以下もない。ということは、ドビュッシーをジャポニスムと結びつける場合、その関係性はゴッホのそれと類似していると見たほうがいいのではないか。交響詩「海」の初版表紙はドビュッシーの指示により葛飾北斎になったが、それは彼にとって「前衛的」という意味合いが強かったのではないだろうかと想像する。「前衛的」とはつまり、それまでの西洋美術思想のコンテキスト上に無かった新しい概念の登場ということであって、それはサンサーンスの時代には無かった新しいフランス音楽の系譜を生み出したドビュッシーという存在に対してはまさにうってつけなのかもしれない。
マーラーの「大地の歌」にしても、これは通用する話であり、彼が根深く東洋思想に理解を持ったとは言い切れないところがある。しかし、東洋文化の影響の色濃さは前述の通りによく感じることができる。それはあくまでも西洋の表現形式の中に「東洋的なるもの」、すなわち「新しい概念」を埋め込んだことによって、新しい息吹、新しい生命を造りだそうとした、そういう解釈がとてもしっくりとくる。
今回の演奏会のテーマは「東洋-西洋のスパーク」。明確に東洋思想と西洋思想との対比を打ち出している。
なるほど、このように見れば、「二人静」は東洋から見た西洋であり、他方「大地の歌」は西洋から見た東洋である。そしてどちらも死生観をテーマに持っている。また、「二人静」が「海」を連想させる音楽であれば、「大地の歌」は大地、それも「花鳥風月」を連想させる。ここにも対比がある。
「二人静」では12世紀の能楽家の死生観が登場するが、平安時代末期から鎌倉時代は「禅」が出現する時代、臨済宗を開いた栄西禅師が禅宗の基礎を築いた時代である。禅では「即心是仏」と言われるが、「自らの本質とは本来的に清らかであり悟りとはその本質を自覚することである」、ありのままの心こそが仏である、と考えられている。また、「世尊陞座(せそんしんぞ)」、文殊菩薩がブッダ(釈尊、世尊)に教えを請うた際ブッダは何も語らず高座を降りた、と言われるが「何も語らない事」にこそ本質がある。つまり、自らの心に既に存在する悟りを「余所からの言葉を借りずに」自らの心の内から悟る、ここに禅の考え方がある。
「二人静」は間に能楽の謡や舞が入るが、そのラストは静御前が何らかの思慮を具体的な言葉の無いままにヘレンへと授け、気付けばふと御前の霊はいなくなり、ヘレン自身の「私はどこから来てどこへ向かうのか」という同じセリフの内面に内なる変化を匂わせて終わる。ここにきても、具体的な言葉は登場せず、結論はうまく読み取れない。しかし、その能楽師が少女に語る「北へ行くつもりだろう。雪は己の足跡を消し、自らの過去を浄化する」という言葉にその結末を推し量る。禅の考え方のように、その思想では何も語らないことによって、「伝える」。受け手はそれを理解できるかと問われる。「東洋から西洋への問いかけ」である。
そして「大地の歌」では、第6楽章の詩、王維の「告別」によって次のように歌われる。
愛する大地は、春になれば
至るところ花咲き、新たに緑が萌え出る
どこまでも、はるか彼方までも永遠に青く輝くだろう
永遠に
永遠に
西洋思想、特にキリスト教では神の国こそが永遠の所在地であり、死はそこからの永遠の始まりである。しかし、東洋思想、仏教の世界では四十九日で現世へ生き返る。すなわち「輪廻転生」である。であるから、西洋と東洋では「永遠」への哲学が異なる。人生は「刹那」である。永遠と比べればそれはただ一瞬の出来事である。だからこそ尊い。そして、永遠とはそういうものである。それがすなわち東洋の「永遠」である。
明らかに、「二人静」で提示された東洋から西洋への問いかけに対して、マーラーの「大地の歌」を置いたことによって西洋から東洋への「返答」が示されている。
ここにきて、いよいよ2つの作品の「対比」と「繋がり」が鮮明になる。
しかし、「大地の歌」を日本の「禅」で理解しようとする事は若干の無理を含む。平安の公家文化からの独立を目指す源頼朝にとって、平安仏教と対立する「禅」は保護の対象となった。また、「禅」の「内面を磨く」という思想は武家の文化によく受け入れられた。というほどに「禅」は鎌倉時代の武家社会、封建制度との関係性が根深く、それを中国の山水詩の中に見出すのは違和感が残るのである。そこを深く追求すれば、では中国仏教と日本仏教の違いとは何なのかという話に入っていくため、より問題は複雑さを増す。
いや寧ろ、日本の鎌倉時代の禅思想から旅立った問いを、中国・唐時代の詩歌で返すというところにこそ、この流れの妙にして巧があると言ってもいい。中国唐時代は密教の大成を見る時代であり、大乗仏教の洗練たる禅の問いを、同じ大乗仏教の根源で返す、という流れにも見れる。それが「二人静」で提示される紛争や難民の問題、戦禍に立たされる人々へのメッセージだったりするのではないだろうか。と思いを巡らせるにつれ、そこに深い「巧み」を感じるのである。ここについては少し言葉が過ぎるかもしれないが。
当代最高の演奏家集団のひとつである、フランス・パリに拠点を置くアンサンブル・アンテルコンタンポラン。
その演奏は心地良い緊張感と、どこまでも精緻な音の構造と安定感が隅から隅まで広がっており、一つ一つが丁寧で全体見渡すとそこには涙が出るほどの美が広がっている。首を絞めつけられるような圧迫感のある緊張はなく、あくまでも柔らかさを含んだ緊張感なのである。
「二人静」は室内楽編成とソプラノ、能声楽によって演奏される約50分1幕の音楽である。ソプラノも実に美しかった。そしてその音楽の中には能の凜とした「静」と「動」がゆったりと湛えている。アンサンブル・アンテルコンタンポランが紡ぎ出す能の持つ独特な空間美も素晴らしいが、白拍子の舞がまた、見事である。
「大地の歌」は室内楽編成(「二人静」より少し大きめの編成)に、アルトとテノールによって演奏される、およそ60分ほどの音楽である。そして、アンサンブル・アンテルコンタンポランの演奏にはフルオーケストラ編成で演奏される「大地の歌」にはない、角の取れた柔らかさが溢れている。そこも実に印象的である。
2つの曲はその意味上の対比としても、プログラムの繋がりとしても、演奏の規模や内容としても申し分ないほどにバランスが良い。
この豊かなバランスの良さの中に、東洋と西洋、死生観、「永遠」への哲学、宗教観の違い、民族紛争や難民などの世界情勢が今まさに抱えている問題、そういった全体問題と個人の問題との繋がりなど、巨大にして重厚、しかし本質を突く問いが実に上手く埋め込まれていて、それがこちらの用意もできぬままにドンと投げかけられたのである。
深淵がそこに大きく口を開き、こちらを覗いていたのだ。
果たして、地中海の海、砂浜を面前に、弟を失ったヘレンは悟りを得ただろうか。
NHK交響楽団 MUSIC TOMORROW 2021
コロナ禍の中、クラシックも「配信コンサート」が増えたわけだが、それでも配信では分からない、ホールでしか体験できない「音の響き」を堪能できるコンサートというものはある。その代表例のようなコンサートであった。
この時代にあって「生で演奏を聴くという行為の意味・価値」を改めて深く認識させられるコンサートだった。
近年稀に見る名演を聞いたのかもしれない。
NHK交響楽団の本気は本当に凄い。
N響のコンサートを聴いても、たまに「これは練習してないな」という演奏に出くわすことが実際にある。「これ当日朝パート割り決めたでしょ」っていう印象を得る時でさえある。
MUSIC TOMORROWはN響が1988年から続けているシリーズであり、年に一度だけ現代音楽を集中的に扱う特別演奏会である。演奏活動と創作は、互いに刺激し合い、新しい世界を紡ぎ出す両輪のような存在である。「明日につながるオーケストラ音楽のために」この演奏会は、その存在意義を定義しているのである。「創作」という活動への敬意と、同じ高みを目指すアートとしての”クリエイティブな”「演奏」活動が、そこに在るのである。
杉山洋一・指揮
吉川隆弘・ピアノ
個人的に、日本の管弦楽曲は結構リピート(いわゆるヘビロテ)して聞いているものがいくつかある。黛敏郎の「涅槃交響曲」だったり、石井眞木の「遭遇」だったり、武満徹の「夢の引用」だったり。そんなリピートして聞いている曲のトップ5に入るのが西村朗の「幻影とマントラ」だったりする。
西村作品ならではの「艶やかさ」があって、その独特の妖艶さがツボだったりする。「華開世界」もまさにそんな色気を醸す音楽であるのだが、そこにはストーリーのような流れの中に緩急があって、それがまた引き込まれる。そしてそのストーリーの中の繊細さの求められる情景に出現する、超弩弓の凄まじい緊張感と集中力。その迫力たるや、「さすがN響」と思わせるには十二分に過ぎる。ラストの超高音域に吸い上げられていく弦楽は緊張と集中で呼吸さえも忘れる。
しかし前述の「幻影とマントラ」よりも、より色調に鮮やかさが大きく広がっていて、それはそれとしてアートたる音楽の一端を垣間見て素晴らしい。
間宮さんのピアノ協奏曲。この曲だけ1970年作曲ということで、半世紀前の音楽ではあるのだが、とはいえ古びを感じない。
いや、厳密には感じていた。そのピアノによるモノローグは、武満作品のような、深い内省的な音響を持つ過日の日本クラシック音楽が持つ良さをしっかりと湛えており、「こういう詩情が魅力的なんだな」という所をあらためて想起させられる。吉川さんのピアノがまた素晴らしい。他方でまるでバーンスタインの交響曲のような近代的でまとまりのとれたオーケストラ音響も感じる。その柔らかな懐かしさの中に、実に不思議な新鮮味が共存しており、「創作に対抗しうるクリエイティブな演奏」という主張を改めてこういうものかと納得させられる。
そして、なんといってラストの終わり方が実にかっこいい。
と、最後に控えるのは現代日本を代表する作曲家、細川さんの新作。
「海の打ち寄せては引く波の動き」を感じさせる音楽、オーケストラ側に海が広がり客席側に砂浜が広がるような、というのがベースにあるのだが、その冒頭は、弦楽が会場を吹き抜ける夏風の強さを持ち、そこに後から「風によって揺れ動く」他力本願な体さえ持つ、僅かに遅れてくる「風鈴」の柔らかな音が、日本の夏の風情のような心地良さを持つ。
オーケストラの中に風鈴の音というものは、ありそうであまりないが、こうして聞いてみると、本当に実に心地良い。
そこに金管のハーモニーが流れ、それが客席後方のバンダの金管に受け継がれてこだまし、そこに録音では認識することの不可能な立体的な音空間の世界が生み出されていく。そして、その金管の、特にホルンなどが奏でる短いが印象的なフレーズが一つひとつ丁寧に紡がれており、それが全体へ溶け込み広がる様は実に美しい。
ラスト、打楽器パートに置かれた大きな水槽の水に奏者が手を入れ、手を引き上げる際に水滴が水面へと落ちる音をアンプによって拡大し、あたかも会場全体が深い水の底にゆったり沈んでいくように終わる。こういう音は事前に録音したものを流すのかと思ったが、実際にその場で「演奏」された。その滴る水の量や大きさといったバランスさえも指揮者と演奏者の手の内で音楽の一部として綿密に計画され、それがためにその絶妙な加減には脱帽する。
細川さんの作品は演奏会や録音を含め、フルオーケストラや弦楽四重奏などいくつか聞いたことがあって、ベルリンフィルのデジタルコンサートホールでも聞くことができるわけではあるが、今回の「渦」は、感銘を受けるほどの美しさがあったように思う。
MUSIC TOMORROWは近年若い作曲者によるフレッシュな音楽というものから遠ざかっていて、「TOMORROW」の部分の意味をどこに感じるかという点を考えさせられる事がちょくちょくとあったが、2年ぶりのこの演奏会は、「若さ」と「明日につながる」は必ずしも同じような価値を持つ概念ではない、という深さを学ばせてもらった。
本当は書くつもりではなかったが、素晴らしい演奏会だったのでここにそれを書いておく。
日本酒のこと
なんやかんや書いてみましたが、まぁ、酒飲んで「うまい」ってひと言が出れば、それ以上の正解は無いんですよ、っていう結論を最初に書いておく。
言はむすべ せむすべ知らず 極まりて
貴きものは 酒にしあるらし
万葉集第3巻に詠まれるこの句は「どう表現したら良いのか分からないくらい、究極的に酒は尊い」という意が込められている。
人間の悩みというものは、相対的なものなのではないかと思うことがる。例えば、AさんとBさんの二人が仕事上で全く同じ悩みを抱えていたとしよう。それは無責任な上司なのかもしれないし、意図通りに動いてくれない同僚や後輩かもしれない。とにかく全く同じ悩みを同時に抱えていたとしよう。
ここでAさんは家庭では順風満帆で、彼に理解のある家族の強い支えがあり、逆にBさんは家庭が荒れ放題で両親の介護だとか配偶者との不仲、子供の非行、借金などいろいろな問題が山積している。
この場合、同じ程度の課題を抱えているはずのAさんとBさんの仕事に対する心の削られ方は異なるのではないだろうか。
恐らく、Bさんは家庭の大きな問題のためにAさんほどに仕事の問題について悩み考える時間を取っていない。相対的にはAさんほど心の中に占める仕事の悩みの割合は大きくない。
であるとすると、何か悩みを抱えている状況に対して、別の思考に費やす時間を自ら意図的に増やすことで、その悩みの重さを変えてやるということはできるのではないだろうか。
という文脈から言って、自分の専門ではない分野の知識を新しく入れてそれを考える時間を増やすことで、抱えている悩みを軽減させ、人生を一歩前に進む力とすることもできるのではないか。最近、「学習を行う」という行為の目的が、何かそんなところにあるようにも思うのである。
自らの心を制御する術を持つことを逃避とは思わない。
1.糖とアルコール
日本酒は辛口が好きですか?
日本酒でいう「辛口」というのは、「甘みが少ない」という意味でもある。
甘みが多いとか少ないとかいう話は日本酒がどうできるか、という話から考えることができる。その作る行程は最も大雑把に言えば、次の二つでまとめてしまうことができる。つまり
であり、日本酒はまずでんぷんから糖分を作り、次に糖分からアルコールを作る。つまり、最初に甘みが生まれ、後から甘みが引いて「辛み」が出てくる。一般に「日本酒度」と呼ばれる評価手法があるが、これは15℃の日本酒を4℃の水と比べて、比重が大きいか小さいか、つまり「液体として重いか軽いか」を指標化したものである。日本酒度0とは、比重1であり水と同じ密度(重さ)を持つ。日本酒度が大きくなれば、密度は小さく液体として軽くなり、マイナスになれば逆に重くなる。液体として軽くなる、というのは相対的にアルコール成分が大きく、それだけ糖分が減っている状態であると言える。であるから、日本酒度が大きい酒は辛口、という判断はある種合理的でもある。
甘みと辛みのバランスがある程度整ったところで、瓶に詰めて60℃程度のお湯に数十秒漬けることで、低温殺菌を行い、麹や酵母の分解反応を止める。これを「火入れ」という。一般的に特別な表記の無い日本酒は、できた酒(醪(もろみ))を絞った後に一度火入れを行い、貯蔵し、出荷前に再度火入れを行う。火入れを全く行わない酒は「生酒」や「生原酒」などと呼ばれる。こうなると、麹菌や酵母による反応は止まらずに続くことになる。厄介なのは、酵母の反応では並行して乳酸菌による乳酸発酵が起こるため、放置しておくとどんどん乳酸が増え、雑味が増えて「酸っぱく」なる、そして最後には酢のようになっていく。なので「生酒」の類は、あまり寝かせず作りたての酒を早めに胃に吸収させたほうがよい、ということになる。
元々は「生ビール」も、瓶に詰められた状態で低温殺菌を行わずに樽から直接注ぐビール、という意味であったはずだが、昨今では「瓶ビールじゃないものが生ビール」的な解釈になってきている向きもある。もちろん、ビールでも低温殺菌を行わなければ日本酒と同じようにアルコール発酵が進むはずである。
日本酒は秋に収穫された米を使って冬場に仕込まれる。次の春に完成して出荷される日本酒は「新酒」と言われるが、一部、夏を超えて秋口に出荷されるものがある。こうなると夏場に腐敗することを防ぐために、貯蔵前に一度火入れをしなくてはならない。しかし、この酒は秋口に出荷される時には火入れされず、「冷や」の状態で樽から「卸される(出荷される)」ため、これを「ひやおろし」と言う。作りたての酒の発酵が終わったばかりの荒さが熟成を経ることで落ち着き、穏やかな日本酒となるのが「ひやおろし」である。
2.酸
糖とアルコールのバランスによって、糖が多ければ甘口、糖が消費されアルコールが増えていけば辛口、という基準は実は正確ではない。同じ糖とアルコールのバランスであっても、酸が強ければ人は「辛口」と感じ、逆にフルーツのような香りがつけば「甘口」と感じたりするので、実際にはもう少し複雑であったりする。
さて、酸はどこから来るのか?
それはヨーグルトと同じ乳酸の力から(主として)来る。
先ほど見たように、日本酒は
- 麹によってでんぷんを糖に分解
- 酵母によって糖をアルコールと炭酸に分解
の2段階によってできる。このうち2つめの酵母によるアルコール発酵は細かくはスターターとなる「酛(もと)」造りと、蒸し米全体で発酵を行う「醪(もろみ)」造りの2段階に分かれる。
この酛造りで乳酸菌が付与される。
近年では人工的に乳酸菌を付与させることでアルコール発酵も含めて反応を促し早く酛が造れるようにする「速醸酛(そくじょうもと)」が一般的に用いられている。
これに対して、自然界に存在している「野良乳酸菌」を蒸し米に付着させてじっくりと他の雑菌と戦わせながら増やしていく手法を「生酛(きもと)」造りという。野良乳酸菌は酒蔵に住み着いているものが付着していく。速醸酛では2週間ほどで酛造りが終わるが、生酛では酛造りに1ヶ月ほどかかる。
生酛造りでは、野良乳酸菌をしっかり米に付着させるために、蒸し米を大変な労力を使って強くすりつぶす作業が必要とされてきた。このすりつぶし作業を「山卸し」という。しかし明治以降にこの作業がなくてもちゃんと野良乳酸菌が蒸し米の中で育つことが確認され、山卸しをしない生酛造りが出現した。これを山卸し廃止酛、略して「山廃」という。
速醸酛より生酛、生酛より山廃、と乳酸菌は強くなるため乳酸もしっかりとしたものが造られるようになり、しっかりした酸が生まれてくる。
同じような糖とアルコールのバランスだったとしても、生酛や山廃のほうがよりしっかりした酸で「辛口」を感じやすくなると言える。
3.吟醸
吟醸酒=米を磨いた酒、というのが昨今の基本的な定義なのだが、元を正せば、吟醸酒=吟醸香のあるお酒なのではなかろうか。この吟醸香とはフルーツのような甘い香りであり、この香りがあるのが吟醸酒、この香りが高いものが大吟醸、となるわけである。
米はその内側の白い部分に「胚乳」といわれる部分がありこの内部にでんぷん貯蔵組織がある。そしてでんぷんはこの胚乳の内側から作られ、貯蔵されていく。精米されるときに取り除かれる糠(ぬか)と白米の間には亜糊粉(あこふん)層があり、ここにはタンパク質が含まれている。従って米は内側ほどでんぷんが多く、外側ほどタンパク質が多くなっていく。でんぷんは分解されて糖になり甘みの元になるが、タンパク質は分解されるとアミノ酸となり旨味の元になる。(旨味は雑味とも言われる。)
【参考】北海道大学、食用作物学II(イネについて)
http://lab.agr.hokudai.ac.jp/botagr/sakumotsu/documents/FCd2_001.pdf
米を外側から削っていくと、よりタンパク質部分は削り取られて純粋なでんぷんに近くなっていく。こうして磨き(=削り)が多くなっていくことで、香りに甘味が強くなっていく。結果的に、米の外側を削ると吟醸香が出て吟醸酒になる、より多く削ると吟醸香が強くなり大吟醸になる。全く磨かれていない玄米から外側40%を削り60%以下に残った米から作る酒が「吟醸酒」であり、さらに外側50%を削り50%以下に残った米から作る酒が「大吟醸」なのである。
ただ、他方でこの「磨き」によって旨味成分であるアミノ酸は出にくくなっていく。米の旨味をより強く感じたいのであれば、吟醸酒ではないのだ。
また、結果的に吟醸酒とは甘味を強く感じる方向に伸びていくので、「辛口が好き」であれば吟醸酒から視線を変えていく必要があるのである。
吟醸酒ではない、一般的な純米酒。あるいは、そこに廃糖蜜(砂糖を作る際の副産物)などの米以外の穀物から生み出される醸造アルコールを添加させて糖とアルコールのバランスをよりアルコール分に偏らせた「本醸造」と言われる酒のほうが、辛口への趣向は強くなっていく。
なので「辛口の日本酒が好きなんですけど、純米大吟醸は最高ですね」などと言うのであれば「ほんとに?」と思ってしまうが、逆に「本醸造の酒が好きなんです」という人が現れると「この人はガチの日本酒好きだ」と思うのである。
4.なんてそんな簡単な話ではない
コンラッド東京のソムリエにして世界唎酒師コンクール優勝という経歴を持つ北原康行氏は、「日本酒のブラインドテイスティングはワインより難しい」という。日本で最も多く酒造りに使われている米は「山田錦」であるが、これは兵庫県の原産である。そして西日本で作られた米が東北で酒造りに使われたりなど、より酒造りの事情が複雑であるが故に、その味わい、風味も単純に地域差だけでは語れないものがあるのである。実際、例えば秋田県横手市の地酒「まんさくの花」では一部兵庫県産山田錦を使ったものもある。
日本酒の原料は米、麹菌、酵母、そして水である。この理解は正しそうに見えるが、実際には麹菌を生み出すには「灰」が必要になる。灰は木を蒸し焼きにして作るが、その木は楢(ナラ)の木やクヌギを使ったりして、椿もいいが樫の木は向かない、なんていう話もある。日本酒に使われる麹はでんぷんを分解して糖分を作る事を主とするが、一方で醤油の麹はタンパク質をアミノ酸に分解し「旨味」を増やす働きをする。様々な種類の麹が存在し、その作り方も創意工夫が必要であり、実際にはその道の専門家が丹念に作るものであったりもする。俗に「一麹、二酛、三造り」と言われるほど、日本酒造りにとって麹とは重要な要素なのである。こういうものであるから、いわゆる「座」の制度や「専門家が集まる町」が構成され、これが「麹町」といった地名の由来になっていたりする。
酵母は各酒蔵が伝統的に培ってきたものでありそれぞれの蔵ごとに性格の異なる酵母が”住んでいる”。各蔵から抽出したいくつかの酵母を日本醸造協会が「きょうかい酵母」として頒布している。例えば、秋田県の「新政」の酒蔵で取れた酵母は「きょうかい6号酵母」として登録されて、他の酒蔵でも使うことができる。きょうかい酵母は「味わいの深い一桁酵母、華やかな香りを醸す二桁酵母」などの差があると言われるが、しかし結局は酒蔵や麹との相性もあって単純に特徴的な酵母を入れればその特徴が出るわけでもない。
ちなみに、酵母は自然界にも存在するためでんぷんを糖化できさえすれば自然にアルコール発酵へと進ませることができる。でんぷんを糖に分解する段階は日本酒では麹菌によって行われるが、ビールでは麦芽酵素などによって行われる。その他、人間の唾液に含まれる糖化酵素を使う「口噛み酒」も古くは九州・沖縄地方の風習に存在していたらしい。口噛み酒は映画「君の名は」にも登場した。
閑話休題、水はどうだろう。日本は世界有数の火山国だが、湧き水としての「硬水」と「軟水」は地域差がある。火山の近いところではミネラルの多い硬水が増え、火山帯ではないところではミネラルの少ない軟水が増える。活火山の多いところはどこだろう?と考える。やはり九州が第一に上がる。実際には九州と関東(関東ローム層)には硬水が多く、その他の地域には軟水が多い。
【参考】クリタック株式会社:全国水質マップ
https://www.kuritac.co.jp/column/map.html
一般に、硬水を使った酒造りは酵母の成長を強く促し、キレのよい強い味わいの酒が生まれる。逆に軟水では柔らかな味わいの酒が生まれる。古来から名酒といえば大阪灘の男酒と京都伏見の女酒が有名であるが、灘は硬水仕込み、伏見は軟水仕込みとなる。ここから察するに、九州や関東の酒は硬水仕込みのために味わいの強い男酒を造る傾向を推測することができる。火山や温泉の有名な地域で造った酒は男酒になるのかもしれない。
【参考】酒みづき:「仕込み水」の役割や硬度の違いについて
https://www.sawanotsuru.co.jp/site/nihonshu-columm/knowledge/water-for-sake-brewing/
いや、そもそも、米作りの際に田んぼに供給される水の違いもあるのではなかろうか?
米は、全国一が山田錦であるが、次いで新潟の五百万石がある。この2品種で酒造好適米生産の日本全体の半分を占める。次いで、長野が原産となる美山錦、そして岡山原産であり江戸時代から酒造りに用いられている雄町が続く。山形には出羽燦々(でわさんさん)という山形県が11年かけて開発した県独自の酒造り用の米がある。
【参考】農林水産省:米に関するマンスリーレポート
https://www.maff.go.jp/j/seisan/keikaku/soukatu/mr.html
前出の北原氏は、「酒とはその土地の食べ物と一緒に造り育ってきたものである。だから、その土地の食べ物と合わせるにはその土地の酒が適している」という。
南に行くほど、食べ物の味や旨味が濃いものが増えフルーツも「トロピカルな」味・香りが出てくるために、酒もその傾向を持つ。新潟で食べるへぎ蕎麦に合う日本酒はやはり新潟の酒であり、福岡で食べる水炊きと合わせるにはやはり福岡の酒が合う。香りの強い料理には香りの強い酒を、味わいの柔らかな料理には味わいの柔らかな酒を、甘味の強い料理には甘味の強い酒を、という取り合わせなのである。
そう考えると、西日本ほど旨味やコクの強い「フルボディ」の酒になり、東日本ほど雑味の少ないピュアな酒になる、という傾向が伺える。それが、東日本原産の五百万石と西日本原産の山田錦の違いにも表れてくる。雄町は山田錦の祖先となるものであり、山田錦同様に旨味の強さが出てくる。逆に東日本で多く作られる美山錦や出羽燦々は五百万石と近い傾向が現れ、ピュアな傾向が強まる。しかしそれでも、兵庫で造られる山田錦と関東で造られる山田錦には水の違いなどが表れるだろう。
このように、麹、酵母、水、米のどれをとっても複雑であり、それぞれに傾向は持っていても組み合わせを考えるとそれは奥深く複雑さが広がっている。さらに、九州のような温暖な地域で造られる日本酒、新潟山間部・長野北部・東北エリアのような寒冷地で生まれる日本酒では、その温度差による麹や酵母の働きの違いも左右されるだろう。
5.酒の順序
インパクトの強い、香りや旨味の強い酒の後に、繊細な、香りの淡い酒を飲むと薄っぺらく感じてしまう。しかも、飲酒が進んだ後、酔いがきた所で繊細な味を判断することも困難であったりもする。であるから、酒の順序としてはまずは香りや味わいの繊細な酒から飲む。純米吟醸や、東日本の酒、軟水仕込みの酒、五百万石や美山錦、出羽燦々でできている酒が先に来る。後半に行くほど、純米酒、本醸造、西日本の酒、硬水仕込みの酒、山田錦や雄町の酒へと遷移していくのである。これについても、「酒を飲む中に料理を入れていく」か「料理のコースの中に則した酒を入れていく」かによっても違ってくるだろう。前述のような味や香りの傾向の取り合わせ方、寿司の酢飯には酸のしっかりとした山廃を、牛肉の脂の甘みには吟醸酒の甘みを、といった傾向をベースに、趣向に合わせて組み合わせを立ち上げる。
しかし、純米大吟醸はその香りが特に強くなるために、あまりにも繊細な味わいの料理には合わなくなる、という。例えば白身魚の刺身を少しの塩だけで食べるのであれば、純米大吟醸は強すぎる。しかし純米大吟醸を中心に料理を考えると、また違った料理の選択肢があるのかもしれない。
酒をベースに料理を楽しむ、料理をベースに酒を楽しむ。
そんな生活のゆらぎが、また人生をちょっとだけ豊かにするのかもしれない。
参考文献
有安杏果、サクライブ
曲は2つの部、6つの楽章から成り、それぞれの楽章には表題が次のようについている。
第一楽章 パン神(牧神)は目覚める、夏が行進してくる
第二楽章 野の花たちが私に語ること
第三楽章 森の動物たちが私に語ること
第四楽章 夜が私に語ること
第五楽章 天使たちが私に語ること
第六楽章 愛が私に語ること
自然的なもの、超自然的なものをそれぞれに巡り、間にニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」の一節を引用することで大いなる正午の訪れ、永遠回帰を予感させ、この世の全てを包含して最後に「愛」にたどり着く。その愛に無限の深淵を感じる。
アンドレス・オロスコ=エストラーダ指揮、フランクフルト放送交響楽団の演奏がYouTubeに上がっている。
www.youtube.com素晴らしい。ずっしりと重く大迫力に始まりながらも実に正確にこの曲の持つ「永遠」を生み出していく。終楽章の「愛」のたっぷりとした深さはまた見事であり、最後の音が虚空に消えてゆくその様は涙が出るほどに美しい。
このフランクフルト響の演奏は第一楽章が終わると拍手が湧き起こる。
1990年にまだ崩壊前のソヴィエト連邦、モスクワを訪れたイツァーク・パールマン、ズービン・メータ、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団のライブ録音がある。その名も「パールマン、ライブ・イン・ロシア」。
披露されたのはパールマンの十八番であるチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。このライブでも、その演奏は熱狂的な支持を受け、各楽章が終わるごとに大きな拍手が巻き起こる。
私は人生で初めて買ったCDがチョン・キョンファ、シャルル・デュトワ指揮、モントリオール交響楽団のチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲なので、馴染みのある曲であったが、当時父が買ってきたこのCDを聞いてなるほどこんな熱狂的な受け入れられ方もあるのか、とある種驚いた。
他にもたびたび楽章が終わるごとに拍手が起きるという演奏に出くわしているわけだが、その度に「音楽を楽しむということはこういうことなのではないか」という思いに駆られる。
「1楽章が終わっても拍手しちゃいけません」っていう暗黙の理はクラシック音楽界隈ではある種「常識化」している。ただ、その理由を「ルールだから」「マナーだから」以外に正確に説明できる人はそう多くはないのではないだろうか。冒頭に記載したマーラーの交響曲のように、全楽章を通すことで初めてその音楽の全体像、その音楽の「言いたかったこと」が理解できるわけで、その全体像に対しての好不評によって拍手を選ぶべき、という事が「楽章間に拍手をしない」という事への元来の意味ではあるが。
しかし、その「ルールだから」「マナーだから」という話によって無碍に拍手を抑え込んでしまうのは、本来的な音楽の楽しみ方として不健康であるとも言える。どんなコンテキストを持ってきたとしても、「今聞いた音楽が素晴らしいから拍手するのだ」という方が圧倒的に自然である。だいたいからして、オペラやミュージカルでは素晴らしいアリアが終わると例え劇の途中であっても熱狂的な拍手喝采が湧き起こる。それが「音楽を楽しむということはこういうことなのではないかな」と思う所以である。
もう十年以上も前に、「東京の夏音楽祭」というものがあった。作曲家の石井眞木らが始めた年1回の音楽祭だが、その最後の年のテーマが「日本の声・日本の音」であり、そこで宮古島のカミウタのコンサートがあった。宮古島の音楽というのは、沖縄音楽の中でも沖縄本島の音楽とも八重山諸島の音楽とも異なる独自の進化系を持っている唯一無二の音楽と言われている。興味深く、そのコンサートを聴かせていただいた。
そして、最後に音楽家も聴衆も含めて会場みんなでカチャーシーを踊る、ということになった。
いや、そもそも踊るつもりで来ているわけでもないし、そんなマトモにカチャーシーなんか踊ったことないのに、なにやら演者に連れ出されて踊ることになった。けど、分からないから目の前にいる人と全く同じ動きをするように必死だった。
ただ、コンサートが終わってふと思ったのだが、カチャーシーってそんな必死になって踊るもんでもないし、自由でよかったんじゃないかな、と。
自由に享受する、そこにこそ音楽の深さの真理があるのではないだろうか。
有安杏果。
実際、私は彼女の歌声にもう8年も心を奪われている。
昨年、LINE CUBE SHIBUYA(渋谷公会堂)で行われたライブ「サクライブ2020」の中からMISIAの「Everything」が公開された。
www.youtube.com低音からゆったりと始まるピアノ。最初の歌が導入され広がる、草原に佇むようなそよ風の匂い、涼しげで静かな音を感じる、穏やかな心地良さに包まれる。
最初の「You're everything あなたが想うより強く やさしい嘘ならいらない 欲しいのはあなた」に表れる幾ばくかの不安、細さ。心許なく、その先の未来はまだそれほど見えてこない。
2番へ、その先へ進むにつれて細さが徐々に落ち着き、一歩ずつ理解へ、確信へと変わってゆく。未来が開けてゆく。若干のフェイクが入り、その「信じる気持ち」が次第に形を変え、大きくなっていく。
「愛せる力を勇気に今かえてゆこう」によってその強さは自らに未だ無いものへの渇望、より大きなものへの憧景を抱いてゆく。もう一段高みへと昇ってゆく。
転調を超え、最後の「You're everything」でその強さは大きく開花する。それは山頂にたどり着き、言葉をなくすほどに美しい満天の星空を眺めているようでもある。
最後の「やさしい嘘ならいらない 欲しいのはあなた」の、何物にも代えがたい、心をえぐるような訴えかけ。この音楽の到達点がその姿を見せる。
「会えばきっと 許してしまう どんな夜でも」という一つの短いフレーズの中に楽しげだったり切なさだったりといういくつもの表情や感情が表れ、複雑な心情が込められている。それを見るについて、「この人は『技術的に上手くあること』以上に大切なものを深く理解しているのだな」と思えてくる。一つの歌を通して、草原から始まり山頂へゆっくりしかし確実に一歩ずつ山を登っていくようなストーリーを持つ。歌だけでなく、ドラムやベースもシンプルから徐々に装飾を増やしていき、バンドを含めた音楽全体がそのような情景世界を生み出している。実に、音楽的な音楽だと思う。
彼女のライブには独特の雰囲気がある。
たまに曲がバックビート(つまり2拍目と4拍目にアクセントがくる)であっても、聴衆のクラップが全ての拍(1、2、3、4拍目)で入ったりする。しかし彼女はあまりそういう所に小難しさを置いたりせず、全てを受け入れる。その音楽の享受には実に広く、そして美しい自由が湛えている。
ジャズ・シンガーのMel Torméが1990年に富士通コンコードジャズフェスティバルで五反田のゆうぽうとホールで行ったライブで「You're Driving Me Crazy」を歌った際、最初からクラップを入れようとする聴衆に対して「Wait, Wait, Wait, later! later! I need you later.(待って待って!後でお願いね!)」と咄嗟に止めに入るようなシーンがあった。
聴衆がより心地よく全体を聞ける道を作りそこへ導く、普通はそうであろう。それは前述の「ルール」とか「マナー」に近い存在のようにも思う。
少し前に有安杏果の「Pop Step Zepp Tour 2019」のライブ音源がリリースされた。
www.amazon.co.jp冒頭からCoolな4beat Swingが展開されて耳を持っていかれるのだが、「ヒカリの声」でギターがうなりをあげ、「色えんぴつ」ではしんしんと降る雪のような静けさに包まれ、「くちばしにチェリー」ではシャッフルに乗せてレトロなゴリゴリ感に艶を乗せる。「小さな勇気」では本人のピアノ演奏で会場を温かな慈愛で包みこみ、「Do you know」ではややダークでファンキーでダンサブルなビートから山口寛雄さんのWalking bass lineに乗せて冒頭でCool Swingを披露したピアノ宮崎裕介さんによるシャープでエッジの効いた4beatのsoloが繰り広げられる。ここがまたかっこいい。最後に日本の夏の喧騒風情をどこか懐かしむような「ナツオモイ」でしっとりと終わる。
「feel a heartbeat」では、「みんなも歌って!行くよ!」という掛け声で聴衆を導いていくのだが、彼女の掛け声はどこまでも自由であることを基底として、否定をせず、音楽の世界へ引き込む穏やかさと優しさが籠もっている。そういう景色をライブの中で何度となく見ることができる。
彼女のライブは作り手としての音楽的深さを持ちながら、受け取る側に広い広い自由を見せる。
彼女は、音楽に愛されている。
私はそう思っている。
アンリ・ルソー
東京国立近代美術館でピーター・ドイグ(1959-)の個展を見た。
美しかった。
原色が強く見えるところもあれば、それは淡い風景のようにも感じられ、また実際にありそうな風景でありながらどこでもない風景のようでもある。幻想と現実感の狭間の繊細なバランス、そこには画家の「見る」という行為の奥深さが垣間見れた。
20世紀に複雑化されすぎた美術の世界をまた「絵画的絵画」に引き戻すNew Paintingの流れ、「21世紀的」とはこういうものか、と肌で感じるような絵画世界。
現代が誇る「画家中の画家」、という所以が分かった。
美術史というのは、得てして「新しいものを生み出す者」と「昔は良かったと顧みる者」が繰り返して現れる。
交通と民族移動が盛んになり東方様式を取り入れるビザンティン様式が発達、これに反動してローマ式の建築を回帰、深化させたロマネスク様式が流行したのが10世紀~13世紀。その後、キリスト教終末論に押されて天国への渇望が大きくなり色彩の強い、尖った造形をふんだんに取り入れた芸術が13~15世紀に流行する。しかし、その後「こんな野蛮な文化はまるでゴート人の文化のようだ」としてこの美術を「ゴシック」と呼び、より均整のとれたローマ様式、ギリシャ様式の正統の復活を求めて「ルネサンス」が14~16世紀に登場する。ところが、その後に来るものはといえば、ルネサンス芸術や宗教改革の反動で、均衡や均整をより意図的に崩した、意匠、装飾の強い芸術が17~18世紀に出現する。古典を愛する人たちからはこれをポルトガル語で「歪んだ真珠」を意味する「Barroco」になぞらえて、「バロック」と呼んだ。
この傾向は近代までにも続く。
産業革命以降に、安価で大量生産される粗雑な日用品に囲まれた生活に嫌気がさして、又は旧来の生活とのバランスがとれず混乱を来して、旧来の美意識に異国風を取り入れた折衷様式「ヴィクトリア様式」や、手仕事の素晴らしさを見つめ直す「アーツ・アンド・クラフツ」運動が起こる。19世紀のこと。そして・・・
-特に19世紀末~20世紀初頭というのは芸術史の中でも最も面白い-
「カメラ」の発明により異国文化がより直接的にヨーロッパに持ち込まれ、中国風のシノワズリや日本風のジャポニスムが花を開く。と同時に、旧来の美意識であるロマン派や印象派から一歩進んで「そもそも芸術家は何をすべきか?何を見るべきか?何を考えるべきか?何を表現するべきか?芸術とは何か?」を多くの人が百家争鳴に考えるようになった結果、「新しい芸術」を意味する「アール・ヌーヴォー」や、古い伝統を否定し離れようとする「ウィーン分離派」、それにピカソ(1881-1973)らが活躍する「キュビスム」やマティス(1869-1954)らによる「フォービスム」、「未来主義」などが登壇し、ありとあらゆる「新しい創造」が試行されるのが19世紀末である。
その結果として20世紀の芸術、レオナール・フジタ(1886-1968)らが参画する「エコール・ド・パリ」やマルセル・デュシャン(1887-1968)、サルバドール・ダリ(1904-1989)らが牽引する「ダダイスム」「シュルレアリスム」、そして「アヴァンギャルド」(前衛)が生まれていくのである。
音楽で言えば、シェーンベルク(1874-1951)やストラヴィンスキー(1882-1971)が十二音技法、無調製、複合拍子を用いた音楽を生み出し、現代音楽への扉を大きく開けた時代である。
さて、アンリ・ルソー(1844-1910)。
そんな、芸術史の中でも最も大きな転換期である19世紀~20世紀の人である。
友人からのご紹介で原田マハ「楽園のカンヴァス」を読む。
お話は、アンリ・ルソーとその周囲、世紀末のパリに起きること、また彼の作品にまつわる美術研究家と美術館学芸員(キュレーター)の数奇な、あるいはスリリングな駆け引きの物語。
もしこの小説を読んでいないのであれば、以降はネタバレを含むことをご了承いただきたい。
この小説の素晴らしいところは、美術の世界に起きる様々な現象を「あぁ、ありそう」という感覚を持ってちりばめられていること、「永遠を生きる」ということの実感が具体的に描かれていること、そして何より小説として特に後半からラストに向けた盛り上がりとスピード感が読者を強い力でその世界へと引き込ませる。
美術世界を片目で眺める楽しみという点と、小説としての物語を読む楽しみという点とが、実に見事な融合を果たしている、素晴らしい作品だったと思う。
ただし、この本の最大の難所は「結局アンリ・ルソーという人の作った作品がなぜ凄いのか」が書かれていないこと。
例えばピカソを見てみよう。
それまで絵画というのはよくよく見たものの「一瞬」を切り取り、それをカンヴァスへと書き取る。カンヴァスに描かれているものは「一瞬」である。ところが、「見る」という行為には時間的な「長さ」がある。ゆっくりと長い時間をかけて見たものを、一瞬という時間にまとめて絵の中に残す。そこに「時間感覚のギャップ」がある。
ピカソはそのギャップを乗り越え、長く時間をかけてみたものを、その通りに絵に書き起こした。よって、本来同時には見えるはずのない顔の「正面」と「側面」とが同時に絵の中に出現した。そこ(絵の中)に今まで登場を許されることのなかった「時間の長さ」が発現したのである。これがピカソの革命である。「立体主義」を意味する「キュビスム」はここから来る。
では、アンリ・ルソーに戻ってみよう。
彼は素朴派(ナイーブ・アート)と呼ばれている。素朴派といって彼以外にぱっと誰かを思い浮かべるほうが難しいかもしれない。実に素朴に、まるで子供が描いたような絵を残している。正規の絵画教育を受けていない彼の絵は、原色的であり、平面的で奥行きに痩せ、ある意味のっぺりとしている。ところどころに遠近法による対象物の描かれる大きさの違いは崩壊しており、多くのものが「正面」を向いている。多種多様な植物が登場するが、木々に生い茂る葉の形はわりと一様的で、まるで絵本の世界のようでもある。故に、彼の絵の凄みを言葉に表すというのは、実はなかなかに難しい。
その感覚が、19世紀末のフランス芸術界で(ピカソや、詩人アポリネールのようなごく僅かの偉大な芸術家たちを除いては)上手いこと評価が得られなかったのは、理解に易い。ただ、我々は当時から今現代のこの時点に向かってくる芸術潮流を一通り知っているわけだから、当時と同じ評価を下すわけにはいかない。
ルソーは15歳でフランス軍に入隊し、メキシコ戦争に従軍、普仏戦争では軍曹にまでなっている。彼ほどの純真無垢な心を持った画家にとって、中南米のジャングルの色鮮やかな装飾性の強い植物、動物たちははまさに魅惑の宝庫、偉大なる先生であっただろう。普仏戦争の後パリ市の税関吏となり、そして41歳で「絵を描くこと」に目覚める。
以降、激動の世紀末芸術界で数少ないプロフェッショナルな芸術家に支えられつつ大衆の評価は得られないまま、赤貧の中絵を描き続ける生涯を送る。
以前、初めてルソーの絵を見たとき、ベルギーを代表するシュルレアリスムの画家ルネ・マグリット(1898-1967)を思い出した。(いや、マグリットを見たときにルソーを思い出したのかもしれない。)
マグリットの絵は一見ありそうな雰囲気でありながら現実には存在し得ないものがある。
代表作「光の帝国」は夜と昼が完全に同居している。
不思議な空間だ。その不思議空間に引き込まれていくような錯覚さえ覚える。
このような不思議空間を絵画の中に生み出すには、写実的であることの延長ではなし得なかったのではないか、ある種の見つめる目の「ファンダメンタル」化、描くことの根源へ立ち戻る作業が必要だったのではないか、と思うときがある。そこに、ルソーのような素朴派の絵画の存在、描くことへの向き合い方が少なからず影響を落としたのではないか、と想像すると、何だか腑に落ちる。
批評家ハーバード・リードはこう綴る。
「彼の生活にはこれといった出来事は何もなく、伝記作者は頁を塞ぐためにさまざまの逸話に頼らなければならないほどであった。これらの逸話はすべて一つの主題、彼の完全な素朴さということを例証しているのだ。私はことさら「完全な」という。(中略)ルソーが生まれつきもっている自分の性質を自覚し、それを倦(う)まずたゆまず培ってきたことは疑いないからだ。彼ほど純粋でない場合には、それはやがて衒(てら)いに終わってしまったであろうが、ルソーはいきいきとした感受性に恵まれていた。」
(「芸術の意味」ハーバード・リード・著、滝口修造・訳、みすず書房)
他の画家が彼のような素朴派の「フリをして」素朴な絵を描こうとしたら、彼ほどの完璧さではないにせよ、描けたであろう。しかし、評価と釣り合わなければ簡単にそのスタイルを捨てることができよう。ルソーはそうではない、人生を最大限に生き、その間ただ真っ直ぐに「素朴」を貫き通した。ある種究極の「素朴」である。彼以外にそれを為し得た人物はいないだろう。
そしてその存在は、複雑になりすぎた美術を「絵画的絵画」へ引き戻す引力に大きく寄与しただろう、と思うのだ。
無論、抽象からポップから様々なものを包含していく21世紀美術潮流なんぞという巨象はさほどに安易に語れるものではないのだが。
【参考】
しかし、デイヴィッド・ホックニーの作品などを見てみても、どこかそんな「絵画的絵画」への潮流を感じる時もある。
そして、前述のジュリー・メレツやトマ・アブツや、その他のいろいろなものを見ても、現代アートの流れに「20世紀的なる複雑なアート」からの脱却があるようにも思えてくる。
そんな中にあって、ルソーのような人こそが「20世紀的なるもの」を「21世紀的たるもの」へ突き動かす陰の立て役者であったのではないだろうか、と思えてならないのである。