日本酒のこと

 

なんやかんや書いてみましたが、まぁ、酒飲んで「うまい」ってひと言が出れば、それ以上の正解は無いんですよ、っていう結論を最初に書いておく。

 

言はむすべ せむすべ知らず 極まりて
貴きものは 酒にしあるらし

 

万葉集第3巻に詠まれるこの句は「どう表現したら良いのか分からないくらい、究極的に酒は尊い」という意が込められている。


人間の悩みというものは、相対的なものなのではないかと思うことがる。例えば、AさんとBさんの二人が仕事上で全く同じ悩みを抱えていたとしよう。それは無責任な上司なのかもしれないし、意図通りに動いてくれない同僚や後輩かもしれない。とにかく全く同じ悩みを同時に抱えていたとしよう。

ここでAさんは家庭では順風満帆で、彼に理解のある家族の強い支えがあり、逆にBさんは家庭が荒れ放題で両親の介護だとか配偶者との不仲、子供の非行、借金などいろいろな問題が山積している。

この場合、同じ程度の課題を抱えているはずのAさんとBさんの仕事に対する心の削られ方は異なるのではないだろうか。

恐らく、Bさんは家庭の大きな問題のためにAさんほどに仕事の問題について悩み考える時間を取っていない。相対的にはAさんほど心の中に占める仕事の悩みの割合は大きくない。

であるとすると、何か悩みを抱えている状況に対して、別の思考に費やす時間を自ら意図的に増やすことで、その悩みの重さを変えてやるということはできるのではないだろうか。

という文脈から言って、自分の専門ではない分野の知識を新しく入れてそれを考える時間を増やすことで、抱えている悩みを軽減させ、人生を一歩前に進む力とすることもできるのではないか。最近、「学習を行う」という行為の目的が、何かそんなところにあるようにも思うのである。

 

自らの心を制御する術を持つことを逃避とは思わない。

 

1.糖とアルコール

日本酒は辛口が好きですか?

 

日本酒でいう「辛口」というのは、「甘みが少ない」という意味でもある。

甘みが多いとか少ないとかいう話は日本酒がどうできるか、という話から考えることができる。その作る行程は最も大雑把に言えば、次の二つでまとめてしまうことができる。つまり

 

  1. 米のでんぷんを、麹菌(カビ)によって分解し、ブドウ糖つまりグルコースにする
  2. この糖分を元に酵母イースト)がアルコール発酵を行い、糖からアルコールと炭酸を生み出す


であり、日本酒はまずでんぷんから糖分を作り、次に糖分からアルコールを作る。つまり、最初に甘みが生まれ、後から甘みが引いて「辛み」が出てくる。一般に「日本酒度」と呼ばれる評価手法があるが、これは15℃の日本酒を4℃の水と比べて、比重が大きいか小さいか、つまり「液体として重いか軽いか」を指標化したものである。日本酒度0とは、比重1であり水と同じ密度(重さ)を持つ。日本酒度が大きくなれば、密度は小さく液体として軽くなり、マイナスになれば逆に重くなる。液体として軽くなる、というのは相対的にアルコール成分が大きく、それだけ糖分が減っている状態であると言える。であるから、日本酒度が大きい酒は辛口、という判断はある種合理的でもある。

 

甘みと辛みのバランスがある程度整ったところで、瓶に詰めて60℃程度のお湯に数十秒漬けることで、低温殺菌を行い、麹や酵母の分解反応を止める。これを「火入れ」という。一般的に特別な表記の無い日本酒は、できた酒(醪(もろみ))を絞った後に一度火入れを行い、貯蔵し、出荷前に再度火入れを行う。火入れを全く行わない酒は「生酒」や「生原酒」などと呼ばれる。こうなると、麹菌や酵母による反応は止まらずに続くことになる。厄介なのは、酵母の反応では並行して乳酸菌による乳酸発酵が起こるため、放置しておくとどんどん乳酸が増え、雑味が増えて「酸っぱく」なる、そして最後には酢のようになっていく。なので「生酒」の類は、あまり寝かせず作りたての酒を早めに胃に吸収させたほうがよい、ということになる。

 

元々は「生ビール」も、瓶に詰められた状態で低温殺菌を行わずに樽から直接注ぐビール、という意味であったはずだが、昨今では「瓶ビールじゃないものが生ビール」的な解釈になってきている向きもある。もちろん、ビールでも低温殺菌を行わなければ日本酒と同じようにアルコール発酵が進むはずである。

 

日本酒は秋に収穫された米を使って冬場に仕込まれる。次の春に完成して出荷される日本酒は「新酒」と言われるが、一部、夏を超えて秋口に出荷されるものがある。こうなると夏場に腐敗することを防ぐために、貯蔵前に一度火入れをしなくてはならない。しかし、この酒は秋口に出荷される時には火入れされず、「冷や」の状態で樽から「卸される(出荷される)」ため、これを「ひやおろし」と言う。作りたての酒の発酵が終わったばかりの荒さが熟成を経ることで落ち着き、穏やかな日本酒となるのが「ひやおろし」である。

 

2.酸

糖とアルコールのバランスによって、糖が多ければ甘口、糖が消費されアルコールが増えていけば辛口、という基準は実は正確ではない。同じ糖とアルコールのバランスであっても、酸が強ければ人は「辛口」と感じ、逆にフルーツのような香りがつけば「甘口」と感じたりするので、実際にはもう少し複雑であったりする。

 

さて、酸はどこから来るのか?

それはヨーグルトと同じ乳酸の力から(主として)来る。

 

先ほど見たように、日本酒は

  1. 麹によってでんぷんを糖に分解
  2. 酵母によって糖をアルコールと炭酸に分解

の2段階によってできる。このうち2つめの酵母によるアルコール発酵は細かくはスターターとなる「酛(もと)」造りと、蒸し米全体で発酵を行う「醪(もろみ)」造りの2段階に分かれる。

 

この酛造りで乳酸菌が付与される。

近年では人工的に乳酸菌を付与させることでアルコール発酵も含めて反応を促し早く酛が造れるようにする「速醸酛(そくじょうもと)」が一般的に用いられている。

これに対して、自然界に存在している「野良乳酸菌」を蒸し米に付着させてじっくりと他の雑菌と戦わせながら増やしていく手法を「生酛(きもと)」造りという。野良乳酸菌は酒蔵に住み着いているものが付着していく。速醸酛では2週間ほどで酛造りが終わるが、生酛では酛造りに1ヶ月ほどかかる。

 

生酛造りでは、野良乳酸菌をしっかり米に付着させるために、蒸し米を大変な労力を使って強くすりつぶす作業が必要とされてきた。このすりつぶし作業を「山卸し」という。しかし明治以降にこの作業がなくてもちゃんと野良乳酸菌が蒸し米の中で育つことが確認され、山卸しをしない生酛造りが出現した。これを山卸し廃止酛、略して「山廃」という。

 

速醸酛より生酛、生酛より山廃、と乳酸菌は強くなるため乳酸もしっかりとしたものが造られるようになり、しっかりした酸が生まれてくる。

 

同じような糖とアルコールのバランスだったとしても、生酛や山廃のほうがよりしっかりした酸で「辛口」を感じやすくなると言える。

 

3.吟醸

吟醸酒=米を磨いた酒、というのが昨今の基本的な定義なのだが、元を正せば、吟醸酒吟醸香のあるお酒なのではなかろうか。この吟醸香とはフルーツのような甘い香りであり、この香りがあるのが吟醸酒、この香りが高いものが大吟醸、となるわけである。

 

米はその内側の白い部分に「胚乳」といわれる部分がありこの内部にでんぷん貯蔵組織がある。そしてでんぷんはこの胚乳の内側から作られ、貯蔵されていく。精米されるときに取り除かれる糠(ぬか)と白米の間には亜糊粉(あこふん)層があり、ここにはタンパク質が含まれている。従って米は内側ほどでんぷんが多く、外側ほどタンパク質が多くなっていく。でんぷんは分解されて糖になり甘みの元になるが、タンパク質は分解されるとアミノ酸となり旨味の元になる。(旨味は雑味とも言われる。)

【参考】北海道大学、食用作物学II(イネについて)
http://lab.agr.hokudai.ac.jp/botagr/sakumotsu/documents/FCd2_001.pdf

 

米を外側から削っていくと、よりタンパク質部分は削り取られて純粋なでんぷんに近くなっていく。こうして磨き(=削り)が多くなっていくことで、香りに甘味が強くなっていく。結果的に、米の外側を削ると吟醸香が出て吟醸酒になる、より多く削ると吟醸香が強くなり大吟醸になる。全く磨かれていない玄米から外側40%を削り60%以下に残った米から作る酒が「吟醸酒」であり、さらに外側50%を削り50%以下に残った米から作る酒が「大吟醸」なのである。

 

ただ、他方でこの「磨き」によって旨味成分であるアミノ酸は出にくくなっていく。米の旨味をより強く感じたいのであれば、吟醸酒ではないのだ。
また、結果的に吟醸酒とは甘味を強く感じる方向に伸びていくので、「辛口が好き」であれば吟醸酒から視線を変えていく必要があるのである。

 

吟醸酒ではない、一般的な純米酒。あるいは、そこに廃糖蜜(砂糖を作る際の副産物)などの米以外の穀物から生み出される醸造アルコールを添加させて糖とアルコールのバランスをよりアルコール分に偏らせた「本醸造」と言われる酒のほうが、辛口への趣向は強くなっていく。

 

なので「辛口の日本酒が好きなんですけど、純米大吟醸は最高ですね」などと言うのであれば「ほんとに?」と思ってしまうが、逆に「本醸造の酒が好きなんです」という人が現れると「この人はガチの日本酒好きだ」と思うのである。

 

4.なんてそんな簡単な話ではない

コンラッド東京のソムリエにして世界唎酒師コンクール優勝という経歴を持つ北原康行氏は、「日本酒のブラインドテイスティングはワインより難しい」という。日本で最も多く酒造りに使われている米は「山田錦」であるが、これは兵庫県の原産である。そして西日本で作られた米が東北で酒造りに使われたりなど、より酒造りの事情が複雑であるが故に、その味わい、風味も単純に地域差だけでは語れないものがあるのである。実際、例えば秋田県横手市の地酒「まんさくの花」では一部兵庫県山田錦を使ったものもある。

 

日本酒の原料は米、麹菌、酵母、そして水である。この理解は正しそうに見えるが、実際には麹菌を生み出すには「灰」が必要になる。灰は木を蒸し焼きにして作るが、その木は楢(ナラ)の木やクヌギを使ったりして、椿もいいが樫の木は向かない、なんていう話もある。日本酒に使われる麹はでんぷんを分解して糖分を作る事を主とするが、一方で醤油の麹はタンパク質をアミノ酸に分解し「旨味」を増やす働きをする。様々な種類の麹が存在し、その作り方も創意工夫が必要であり、実際にはその道の専門家が丹念に作るものであったりもする。俗に「一麹、二酛、三造り」と言われるほど、日本酒造りにとって麹とは重要な要素なのである。こういうものであるから、いわゆる「座」の制度や「専門家が集まる町」が構成され、これが「麹町」といった地名の由来になっていたりする。

 

酵母は各酒蔵が伝統的に培ってきたものでありそれぞれの蔵ごとに性格の異なる酵母が”住んでいる”。各蔵から抽出したいくつかの酵母を日本醸造協会が「きょうかい酵母」として頒布している。例えば、秋田県の「新政」の酒蔵で取れた酵母は「きょうかい6号酵母」として登録されて、他の酒蔵でも使うことができる。きょうかい酵母は「味わいの深い一桁酵母、華やかな香りを醸す二桁酵母」などの差があると言われるが、しかし結局は酒蔵や麹との相性もあって単純に特徴的な酵母を入れればその特徴が出るわけでもない。

 

ちなみに、酵母は自然界にも存在するためでんぷんを糖化できさえすれば自然にアルコール発酵へと進ませることができる。でんぷんを糖に分解する段階は日本酒では麹菌によって行われるが、ビールでは麦芽酵素などによって行われる。その他、人間の唾液に含まれる糖化酵素を使う「口噛み酒」も古くは九州・沖縄地方の風習に存在していたらしい。口噛み酒は映画「君の名は」にも登場した。

 

閑話休題、水はどうだろう。日本は世界有数の火山国だが、湧き水としての「硬水」と「軟水」は地域差がある。火山の近いところではミネラルの多い硬水が増え、火山帯ではないところではミネラルの少ない軟水が増える。活火山の多いところはどこだろう?と考える。やはり九州が第一に上がる。実際には九州と関東(関東ローム層)には硬水が多く、その他の地域には軟水が多い。

【参考】クリタック株式会社:全国水質マップ
https://www.kuritac.co.jp/column/map.html

 

一般に、硬水を使った酒造りは酵母の成長を強く促し、キレのよい強い味わいの酒が生まれる。逆に軟水では柔らかな味わいの酒が生まれる。古来から名酒といえば大阪灘の男酒と京都伏見の女酒が有名であるが、灘は硬水仕込み、伏見は軟水仕込みとなる。ここから察するに、九州や関東の酒は硬水仕込みのために味わいの強い男酒を造る傾向を推測することができる。火山や温泉の有名な地域で造った酒は男酒になるのかもしれない。

【参考】酒みづき:「仕込み水」の役割や硬度の違いについて
https://www.sawanotsuru.co.jp/site/nihonshu-columm/knowledge/water-for-sake-brewing/

 

いや、そもそも、米作りの際に田んぼに供給される水の違いもあるのではなかろうか?

 

米は、全国一が山田錦であるが、次いで新潟の五百万石がある。この2品種で酒造好適米生産の日本全体の半分を占める。次いで、長野が原産となる美山錦、そして岡山原産であり江戸時代から酒造りに用いられている雄町が続く。山形には出羽燦々(でわさんさん)という山形県が11年かけて開発した県独自の酒造り用の米がある。

【参考】農林水産省:米に関するマンスリーレポート
https://www.maff.go.jp/j/seisan/keikaku/soukatu/mr.html

 

前出の北原氏は、「酒とはその土地の食べ物と一緒に造り育ってきたものである。だから、その土地の食べ物と合わせるにはその土地の酒が適している」という。
南に行くほど、食べ物の味や旨味が濃いものが増えフルーツも「トロピカルな」味・香りが出てくるために、酒もその傾向を持つ。新潟で食べるへぎ蕎麦に合う日本酒はやはり新潟の酒であり、福岡で食べる水炊きと合わせるにはやはり福岡の酒が合う。香りの強い料理には香りの強い酒を、味わいの柔らかな料理には味わいの柔らかな酒を、甘味の強い料理には甘味の強い酒を、という取り合わせなのである。

 

そう考えると、西日本ほど旨味やコクの強い「フルボディ」の酒になり、東日本ほど雑味の少ないピュアな酒になる、という傾向が伺える。それが、東日本原産の五百万石と西日本原産の山田錦の違いにも表れてくる。雄町は山田錦の祖先となるものであり、山田錦同様に旨味の強さが出てくる。逆に東日本で多く作られる美山錦や出羽燦々は五百万石と近い傾向が現れ、ピュアな傾向が強まる。しかしそれでも、兵庫で造られる山田錦と関東で造られる山田錦には水の違いなどが表れるだろう。

 

このように、麹、酵母、水、米のどれをとっても複雑であり、それぞれに傾向は持っていても組み合わせを考えるとそれは奥深く複雑さが広がっている。さらに、九州のような温暖な地域で造られる日本酒、新潟山間部・長野北部・東北エリアのような寒冷地で生まれる日本酒では、その温度差による麹や酵母の働きの違いも左右されるだろう。

 

5.酒の順序

インパクトの強い、香りや旨味の強い酒の後に、繊細な、香りの淡い酒を飲むと薄っぺらく感じてしまう。しかも、飲酒が進んだ後、酔いがきた所で繊細な味を判断することも困難であったりもする。であるから、酒の順序としてはまずは香りや味わいの繊細な酒から飲む。純米吟醸や、東日本の酒、軟水仕込みの酒、五百万石や美山錦、出羽燦々でできている酒が先に来る。後半に行くほど、純米酒本醸造、西日本の酒、硬水仕込みの酒、山田錦や雄町の酒へと遷移していくのである。これについても、「酒を飲む中に料理を入れていく」か「料理のコースの中に則した酒を入れていく」かによっても違ってくるだろう。前述のような味や香りの傾向の取り合わせ方、寿司の酢飯には酸のしっかりとした山廃を、牛肉の脂の甘みには吟醸酒の甘みを、といった傾向をベースに、趣向に合わせて組み合わせを立ち上げる。

 

しかし、純米大吟醸はその香りが特に強くなるために、あまりにも繊細な味わいの料理には合わなくなる、という。例えば白身魚の刺身を少しの塩だけで食べるのであれば、純米大吟醸は強すぎる。しかし純米大吟醸を中心に料理を考えると、また違った料理の選択肢があるのかもしれない。

 

酒をベースに料理を楽しむ、料理をベースに酒を楽しむ。
そんな生活のゆらぎが、また人生をちょっとだけ豊かにするのかもしれない。

 

参考文献