武満徹「波の盆」/アンサンブル・ノマド

1983年に制作され、倉本聰が脚本を担った、「波の盆」という日本テレビ系のドラマがある。
太平洋戦争当時のハワイ。日本を祖国に持ちながらも祖国を裏切り米軍に協力した日系移民と、引き裂かれた日本に暮らす家族、それぞれの思いを綴った物語である。
ドラマの音楽は武満徹が担当している。

 

武満徹「波の盆」
指揮:佐藤紀雄
アンサンブル・ノマド

www.youtube.com

美しい。

 

その一言に尽きる。

 

冒頭の弦楽合奏による長い「D」の音。穏やかで、淀みなく明瞭に見事なほどに水平であり、どこまでも青い空の下、静かに佇む海の遙か彼方に望む水平線を、ただ眺めている間に心がそこに吸い込まれていくようである。

ヴィブラフォンによるやや不穏な和音の導入。0:59から入る心地よく優しさに包まれた木管。1:11から始まる弦楽合奏による筆舌に尽くし難いほどに見事に甘美な主題。後から追いかけてくるチェロの優美。その大きく波を打つテンポの揺らぎが実に甘く、切なく響く。人の心の中を波のように押しては返してくる様々な感情、思いが詰め込まれている。2:03から入るホルンによるメロディは頭の上の遙か上方を見事に広く翼を羽ばたかせて優雅に飛んでゆく。一つひとつメロディーの仕舞いがこれでもかというほどに、ゆったりとたっぷりと深く、フレーズの終わりにゆっくりとディミヌエンドし消えゆく音の中には、永遠でさえも宿るよう。「神は細部に宿る、(そして細部は全体に統合されなくてはならない)」、そんな言葉を思い出す。

 

オリジナル・サウンドトラックを担当した指揮者の岩城宏之も、その後に組曲として札幌交響楽団と録音を行った尾高忠明も、そのあまりの美しさに涙を堪えながら指揮をしたという。

 

アンサンブル・ノマドによる武満音楽の完成度の高さの「常」は、もはや何か言葉によって補強する余地もない、第一級の美しさがある。
素晴らしい。

 

 

藤原行成(ふじわらのゆきなり/こうぜい)という人がいる。
平安時代の公家であり、かの藤原道長の信頼の厚かった政務官である。と同時に、書道史の中で「三蹟」のうち最後の一人に数えられ、「和様」を完成させた人物と言われている。

 

聖徳太子のいた飛鳥時代から奈良時代を経て平安時代初期まで、日本は遣隋使、遣唐使の2つの制度により大陸から大量の文化を輸入した。それまで「音」によって伝えられてきた日本の言語・文化は、漢字の流入によって「漢字によって音を表現する」という方法論へと置き換わってゆく。

 

当時の漢字は、王羲之(おうぎし)や六朝楷書(りくちょうかいしょ)といった中国書文化を手本とする、質実剛健たる日本漢字文化である。俗に「三筆」と呼ばれる、弘法大師空海嵯峨天皇橘逸勢(たちばなのはやなり)らはいずれもこの重厚な奈良・平安初期の漢字文化を残している。

 

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「快雪時晴帖」

王羲之、4世紀、台北・国立故宮博物院蔵)

wikipediaより

 

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「聾瞽指帰(ろうこしいき)」

弘法大師空海筆、797年、金剛峯寺蔵、国宝)

https://www.facebook.com/koyasan1200/posts/1397252703661070/

 

ところが、平安時代が始まって100年ほどの894年、遣唐使が廃止されると日本は大陸文化の流入が途絶え、独自の文化が発展していくのである。武器では天国(あまくに)が「小烏丸」という刀を作り、これが大陸伝来の直刀(上古刀)から、刀身全体に湾曲を帯びる日本独自の湾刀(古刀)への変化の代表例となる。よく知られている「日本刀」の文化がここから始まるのである。

 

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「太刀・無銘 名物:小烏丸」

(天国、奈良時代末~平安時代中期、宮内庁蔵)

https://www.tsuruginoya.net/stories/kogarasumaru/

 

日本語文字文化の進化という点から見ると、漢字の流入、定着、発展という区切りが見えてくる。発展はさらに、仮名の発生、仮名の定着、そして漢字文と仮名文の融合という流れがある。まさに平安時代はこの仮名の発生から漢字との融合までの変革期であり、「三蹟」と呼ばれる小野道風(おののみちかぜ/とうふう)、藤原佐理(ふじわらのすけまさ/さり)、そして藤原行成がその立役者となる。三蹟最後に登場する藤原行成はこの漢字と仮名の書文化としての融合により、書における「和様」を完成させたのである。

 

東京国立博物館の常設展をふらふらと歩いて見ていたとき、ふと、伝藤原行成筆「大字和漢朗詠集切(だいじわかんろうえいしゅうぎれ)」が目にとまり、思わず見入ってしまった。

 

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「大字和漢朗詠集切(だいじわかんろうえいしゅうぎれ)」

(伝藤原行成筆、11世紀、東京国立博物館蔵、重要美術品)

https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/243657/1

 

連綿(文字を繋げて書く)とした仮名の中に流れるゆっくりとした、ゆったりとした時間と空間。一つ一つの文字の重心を繋ぐ、それぞれの行に浮かび上がる「線」に表れる流麗。連綿の狭間に生まれる豊かな余白。

 

仮名の中の「線」を見つつ漢字を見ると、これがまたそれぞれの字が細身ながらも存在感があり、仮名の線との対比においても漢字の線は実に高度なバランスを保って存在している。重すぎず、また軽すぎず、偏らず、柔らかに過ぎず、また堅くも過ぎず。この「面」としての完成が物語る漢字と仮名の優美で格調高い調和、このような仮名との調和を生む漢字の形状美の出現こそが「和様」なのである。
美しい。

 

「大字和漢朗詠集切」は「伝」藤原行成筆である。つまり、「言い伝えによると藤原行成が書いたらしい」ということである。真筆(本人の自筆)との判断はなされていない。ただし、筆跡鑑定の結果、平安時代の仮名作品の最高傑作と言われている「古今和歌集・写本、高野切第一種」と同じ人物による筆と見なされている。

 

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「高野切古今集(第一種)」

(伝紀貫之筆、11世紀、五島美術館重要文化財

https://www.gotoh-museum.or.jp/collection/col_04/08002_001.html

 

 

細く、繊細ながらも穏やかな緊張を持ち、そのゆったりとした流れによって生まれる余白には、奥行きの深い豊かさが広がっている。

 

アンサンブル・ノマドによる武満徹の中にも、「大字和漢朗詠集切」の書の中にも、どちらにも覗うことができる。千年を超えて対比する全く分野の異なる二つの作品だが、しかし内に脈々と流れるこういった趣こそが、日本文化の真髄なのではないだろうか。

 


【参考文献】
「書の見方」(名児邪明・著、角川選書、2008)

「特別展・和様の書」(東京国立博物館、2013)

※文献によってどちらの場合も登場するため、人物名に音読みと訓読みを併記している。