単独者たちの王国〜めぐりあう響き

サントリー芸術財団サマーフェスティバル2016

ザ・プロデューサー・シリーズ

佐藤紀雄がひらく
〈単独者たちの王国〉〜めぐりあう響き

 

・クロード・ヴィヴィエ「ジパング
・マイケル・トーキー「アジャスタブル・レンチ」
武満徹「群島S.」
リュック・フェラーリ「ソシエテII〜そしてもしピアノが女体だったら」
・(アンコール)武満徹「波の盆 - 第1曲」

 

佐藤紀雄 指揮
アンサンブル・ノマド

 

20世紀というドビュッシーからシュトックハウゼンまでいた激動の音楽史の中で、作曲技法における主義のコンテキストから一歩はずれ、自らの信念によって自らのの美的世界を独自に生み出した「単独者」たちの饗宴。

 

今日の演奏に、「芸術」という無限に壮大なものの中の、最も奥深い本質を垣間見たような気がした。


ヴィヴィエ「ジパング」。
弦楽合奏だが多彩なボウイングを駆使することで、その音色の幅が豊かになる。しかして、その音は全体的にどこかドライであったように思えたのは席のせいか、曲のデザインゆえか。それはどうにもまるで月夜の砂漠のような印象でもあり、「ジパング」という名前の不思議にふわっと包まれた。(曲目解説上にも詳しい由来はなかった。)

 

トーキーの「アジャスタブル・レンチ」。
曲目順でこの位置に最適な、クッションのようなオシャレなお菓子を置いて壮大なメイン料理に備えるような、とにかくポップで可愛らしい感じの音楽。木管楽器がリードする小粋でノリのいい4小節一区切りのリズムに乗せて、様々な楽器が交差し発展しながら音楽が展開していく姿は、さながらミニマルミュージックのような心地良さ。

 

そして、曲順が前後するが、問題のフェラーリの「ソシエテII」。
まずピアニストが蛍光イエローのポロシャツ、ハーフパンツ、スニーカーというランニングウェアで登場したところから、何やら不穏な雰囲気。打楽器ソロ3人も動きやすい格好ではあったが、打楽器というパートの性格上、それはそれほど違和感はなかった。

 

この音楽の内容はといえば、20世紀中盤に一種流行した無調無拍子の前衛感丸出しの音楽。ピアノは内部奏法やら、腕全体で鍵盤を叩き音をクラスタリングしたり、ピアノの縁を鞭で叩いたりと自由奔放。打楽器も3人がそれぞれ舞台上を楽器や楽譜、マイクを持ちながら縦横無尽に動き回りとにかく叩きまくる。ピアノの中にボンゴを置いて、ボンゴとピアノを同時にマレットやらドラムスティックやらで叩きまくる。かと思えば、打楽器奏者がピアノの前に座っているピアニストを引きずりおろして自らピアノの鍵盤を叩く。弾く、というより叩く。ピアニストはヤケになったか、打楽器を叩き出す。指揮者は演奏の途中で何かを放棄したかのように、指揮台の隣に置かれたソファに座っておもむろに新聞を読み始める。一応背後にオーケストラがいるのだが、この4人の熱量が凄すぎて、聞いた後に「あれ?どんなことやってたっけ?」と思われても致し方ないのかもしれない。もはや「この音楽に楽譜というものは存在するのだろうか?存在する必要性はあるのだろうか?」とさえ思うほどの音の嵐。

 

その音がふっと消え、指揮者は観客に礼をする。観客の拍手と「ブラボー」の叫び。指揮者は舞台袖へ捌ける。かと思えば突如ピアニストがオーケストラに向かってさらにしっちゃかめっちゃかな演奏を再開。指揮者は走って指揮台に戻り、演奏を「止めさせる」。
再び拍手。

 

「呆気にとられる」とはまさにこのこと。

 

目の前に座っておられた女性が演奏中その熱量にやられたようで、終始クスクス笑い続ける。最初怪訝に思っていたが、打楽器奏者がピアニストを引きずりおろしたあたりから、「あぁ、これは狙ってやってるわけだから、笑うのが正解かもしれない」と思えてきた。プロデューサー佐藤氏自身によるプログラム解説にある、「(作曲者は)作品から逃れられない宿命を演奏家にあずけたあと、自分は一歩引いたところで笑みを浮かべて眺めて楽しんでいたに違いない」という言葉をふと思い出し、笑いも含めたところで作曲家の掌の中にいたんだろうな、とさえ思った。

 

人間、思想、哲学、倫理、宗教、国家、政治、戦争、自然、愛、希望、美、憎しみ、卑しみ、醜さ、絶望、死、生…この世の全ての表現対象を遥かに超えてそのずっと奥底の、最も根深いところに「笑い」を置いたことによって、芸術というものの重さと、それに対して表現家のやっていることの軽さを同時に目に見える形で提示したのではないだろうか。


「だかこそ」なのだが、フェラーリの前にやった武満徹の音楽が必要だったのだ。この武満徹の緻密で圧倒的に高い完成度があったからこそ、前述の主張が極めて立体感を帯びてくる。

 

武満の「群島S.」は、5つのグループに分かれたオーケストラが、それぞれに響き合い、さながら「群島」の自然美を醸し出すわけだが、これがとんでもなく美しい。

 

武満の音楽はシベリウスと少し似通ったような雰囲気を個人的に感じていて、それは何かといえば音の数が少なくなればなるほどに澄み渡った美しさがどんどん増していく。少ない音の集合で透き通った大自然を表現してゆくがゆえに、アラが出れば濁りはよく目立つ。

 

「群島S.」はその名の通り、やや短めなフレーズがふとした無音を飛び越えながら繋がっていく。それぞれのフレーズの一つ一つの仕舞い方が濁りなく丁寧であるほど、その無音は美しく光り輝く。そしてそれは実に美しいものであった。客席に別れた2本のクラリネットの響き合い、途中のトランペットソロ、ファゴットソロ、ホルンソロ。どれも美しい。「武満徹の音楽を体験する」ということに対しては十二分な完成度の高い音楽だった。

 

「単独者の王国」、各作品は全くその国籍も時代も作風も方向性も編成さえもバラバラではあったが、こう一通り見終わってみると、最初から最後に至るまで実に自然な流れの中で「芸術とは」という核心へと知らぬ間に徐々に迫っていく、実に意義深い演奏会であった。

 

凄いものを見た。

 

武満徹「ジェモー(双子座)」

サントリーホール30周年記念

 

タン・ドゥン指揮

三ツ橋敬子指揮
東京フィルハーモニー交響楽団

 

武満徹「ジェモー(双子座)」

タン・ドゥン「オーケストラル・シアターII:Re」

武満徹「ウォーター・ドリーミング」

タン・ドゥン「3つの音符の交響詩

 

何故この曲順になったのか、なんならなぜこの曲順に「変更した」のか、少しよく分からない。

 

3つの音符→ウォーター・ドリーミング→ジェモー→Reのほうが個人的にはしっくりきたような気がする。タン・ドゥンは「東洋人は"Less is More(より少ないことによって、より豊かになる)"の感覚を持つ」と語ったが、ならば3つの音から出発し1つの音へと帰着するほうが、流れとして自然なようにも感じる。ちなみに、「Less is More」はミース・ファン・デル・ローエの言葉、というイメージがあるので「東洋人ならば」と言われると個人的にいささか違和感を覚える。

 

武満:ジェモー。
美しい。武満らしい満ちては引く波の、繰り返される訪れのような音の流れの中に、ふんわりと佇みその宇宙と一体化するような感覚。
特にスティーブン・ブライアントのトロンボーンの豊かで暖かく優しい音の、オーケストラへの乗り方が実に心地良い。良い演奏だった。
それと、CDだとどうしても分かりにくい、2群のオーケストラが互いに絡みみあっていく様子を目の前で見れた事もよい収穫だった。と同時にこの曲の主題は「2」。2つの目、2つの耳、2つに分かれた脳が一人の人間を動かす。それを聞くときに、やはり2つの音群の「境目」が感じられないと、この音楽の核心には踏み込めなさそうだな、とも思った。

 

タン・ドゥン:オーケストラル・シアターII:Re。
「観客と一緒に作る」という発想は現代芸術の一種の流行りだが、なかなかこのようなコンサート会場で見かけることは少ない。観客自身も演奏者となるが、さらにアーティキュレーションまで求められたことによって、実に観客に緊張感が要求される音楽だった。
数年前にサントリーホール内でお茶会に参加したジョン・ケージ「ミュジサーカス」を彷彿とさせるこのような「特別な体験」こそが、サントリーサマーフェスティバルの醍醐味だよな、と再認識。
客席各所に散らばった木管奏者たちが、おどろおどろしく「レ」を響かせば、バスが呪文のように意味の無い言葉を繰り返す。それに引き込まれるように観客もまた同じ言葉を唱える。時に二人の指揮者も静寂を求めるような語りを散りばめる。絶妙な緊張感の中、東フィルの演奏は緻密にコントロールされていた。まさに「怪演」。
ただ、音楽の流れの中に「輪廻転生」(或いはresurrection)の流れを明確に感じるかというと、そうでもないわけだが、しかし儀式的な性格が強いために、何やら信心深さを試されているようでもある。新しい宗教でも誕生したか。

 

武満:ウォーター・ドリーミング。
これは少し額縁の中にコンパクトに収められすぎていたか。伸びやかさがもう少し欲しいところ。特にフルートソロ最初のBbにはどこか幼児的性格を纏っていたように聞こえる。もう少し全体的に神話的性格が求められてもいいのではないかな。

 

タン・ドゥン:3つの音符の交響詩
現代音楽にしてはノリノリな、協和音もいっぱい聴ける(謎)楽しい音楽。サントリーホールのお誕生日に相応しい音楽だった。
祝典音楽的に聞こえたのは作曲者の前振りがあったからかもしれないが、であればやっぱりこれが最初でもよかったんじゃないかなぁ。

ももいろクローバーZ「桃神祭2016〜鬼ヶ島」

「鬼は日常生活の中にも居ます。会社の上司や、学校の先生、お父さんやお母さん。でも、みんな自分を良い方向に導こうとしてくれる存在でもある。」


ももいろクローバーZ(以下、ももクロ)の高城れにちゃんは、夏ライブ「桃神祭2016〜鬼ヶ島」2日目のラストの挨拶でこんなことを言った。「神」と「鬼」の同一視である。

世の中の物事を「善」と「悪」の二項対立に判断するのは思想の欧米化とも言える。元来東洋思想の原理は「陰陽」であって、それは光と闇、昼と夜、夏と冬のようにお互いがお互いを補完しつつ排反しつつ、夫々の中に善も悪も存在している、という二項対立である。

 

近年の社会風潮として善悪二項対立をよく目にする。しかし陰陽を思想の根幹とする東洋人にとっては少なからず違和感を得るべきである。日本の政治について例を出すと角が立つが、例えばISをはじめとするいわゆる過激派によるテロを見るに、彼らは彼らの思想として決して「悪い事をしよう」としてテロを起こしているわけではなく、彼らは彼らの信じる「正義」に基づいてテロを起こしている。その正義が我々の理解している正義とは異なる、というだけのことであり、彼らの正義が我々に悪の存在となる、と同時に我々の正義もまた彼らにとっての悪となるのだ。

 

短絡的に「良い人は常に良い」「悪い人は何が何でも悪い」という発想は理解には易しいが実に幼稚だ。或いは、日本人は倫理思想として、難しいことを考えられなくなってきているのではないだろうか?
 
その言い知れぬ不安感を、ももクロという存在が一度洗い流してくれたのは、個人的に実に新鮮だった。特にれにちゃんは本能的に「和」の心を理解しているように思う。

 

 

 

日本文化の「和様」の内側もまた、二項対立で語られることが多い。古くはアニミズムの呪術的な色彩の強い荒々しい縄文的なる文化と、気品高くしなやかで均整美に富んだ弥生的なる文化との対がある。弥生時代の生活が大陸文化渡来の影響が強いことから、日本美術史家の辻惟雄はこれを「土着の美意識」と「混血の美意識」と語った。

 

私はこの対立を「雅」と「俗」と見る。もっともこれは雅楽と俗楽という音楽的分類を基点とした言い方に他ならないが。平安期以降の宮廷文化、朝廷文化、狩野派を中心とした絵画世界、雅楽や舞楽を「雅び」ととれば、それ以外の庶民文化、あそび、へうげもの、数寄、琳派的なるもの、浄瑠璃長唄、民謡、こういったものは「俗」ともとれる。明治以降に西周らによって「芸術」という概念がもたらされた結果、多くの「俗」文化が「非芸術的なるもの」とみなされたが、それ以前の世界においては「雅」と「俗」は今より成熟した均衡のとれた関係であったと想像できる。

 

もっとも、「雅」が前出の弥生的なるものの後継関係に当たるのかといえば必ずしもそうとは言い切れない。雅楽や舞楽、あるいは「神を祀る」という風習はどちらかといえばアニミズムつまり太古から脈々と続く日本の陰翳礼賛たる自然崇拝史の延長と考えたほうがしっくりくる。

 

そういった潮流を思い描くに、752年に執り行われた東大寺大仏開眼法会では日本で太古から受け継がれる神を崇める舞楽と、インドから中国を経て伝わった大陸文化である仏教声明が同時に奉納されたわけであるから当時の日本文化においては実に画期的な「エポックメイキングな」出来事であったことは想像に難くない。

 

「俗」なる文化は常に庶民文化と隣り合って歴史を刻んできたわけであるから、これが現代琳派から「萌え」文化、サブカルやポップカルチャーと親和していくのもさほどに難はない。少し強引に単純化して言えば「和をモチーフにした」と銘打っているもののほとんどがこちら側である。わっしょいした世界、どんちゃんした世界が日本文化かと言えば、僕個人的には「雅び」が無ければそれは「和」の文化に対して片手落ちではないか、と思っている。断っておくが、色彩感的に派手なものが即ち「雅び」ではない。

 

ところが、ことももクロに関して言えば「俗」文化とポップカルチャーとの融合はさることながら、「雅」文化との融合を試みつつある。うっすらと去年あたりから感じてはいたが、確実に感じたのはライブ中に舞楽奉納を行った太宰府ライブからだ。神聖で高貴なる日本宮廷文化の美学とポップカルチャーとの融合、これはまったくもって前出の東大寺開眼法会に匹敵するほどに衝撃的な、エポックメイキングな事態である。

 

おそらく東大寺のそれが当時の人々から感じ取られたであろう強烈な違和感と同じように、今ももクロがやっていることは現代に生きる我々にとって違和感の強い現象だろう。ひょっとしたらその試みは最終的に上手くいかないかもしれない。ただ、そこが「文化」の新しい扉の開く瞬間だという密かなる確信もまた持てるのだ。

 

そういった、歴史、とりわけ文化史の転換点に今遭遇している、遭遇できていることは、大変に貴重な経験なのではないかと思うのである。そして、元東大准教授の故・安西先生が著書の中で言及されていた、「包括的なももクロ論を最初から破棄せざるを得ないほどの、ももクロが持つ多様な島宇宙」の吸引力こそがそれを実現する原動力なのだろう。

 

黛敏郎 「涅槃交響曲」

ゴーダマ・シッタルダ、あるいはブッダ、はたまた釈迦。
  
仏教の祖である彼が生まれたのは紀元前5世紀頃のインドであるが、それを遙かに2000年ほど遡ること紀元前25世紀頃、インダス川流域には巨大な文明があった。しかしこのインダス文明における宗教観は文字に残っていない事もあって謎に包まれている。紀元前10世紀頃この地にアーリア人が進入し、バラモン僧が儀式を行う「バラモン教」が生まれた。彼らはそれまでその土地に伝わってきた祭詞や聖歌などを集めた巨大な聖典ヴェーダ」(「知の本」)を編纂した。
  
ヴェーダ」はサンスクリット語で書かれているが、ヒンドゥー教徒ヴェーダの事を「意味だけではなく、音の響きそのものも神聖である。それは人が作ったものではなく、神々が作ったものを『聞いた』のである。ヴェーダは「オーム」という聖なる音から生まれ、そしてそれは宇宙ができる前から存在した」と考えた。ヴェーダ信仰は宇宙信仰そのものなのである。
  
ヒンドゥーの思想では「音」には深い意味を持つ。そのもう一つが「マントラ真言)」である。マントラには文字としての意味を持つ必要はなく、大切なのは「音」である。宇宙の創造より前から存在していたとされる「オーム」は一つのマントラであり、その聖なる音を唱える者はその聖なる力を取り入れる、とも言われる。
  
  
その後ブッダが生まれ、仏教が誕生した。仏教がインドから中国へと広まっていく中で、「ヴェーダ」の一つである「サーマ・ヴェーダ」(「歌詠の集成」)もまた中国へともたらされ、「梵唄(ぼんばい、サンスクリット語の歌)」から「声明(しょうみょう)」と漢訳され呼ばれるようになった。漢訳をしたのは「西遊記」でも有名な玄奘三蔵と言われている。
  
日本への仏教公伝は538年だが、「声明」が日本史上に初めて登場するのは奈良の大仏の開眼法会でのことである。時に752年、奈良時代
  
しかし、日本では律令制の整備など国家としての統一に仏教を利用したことによって奈良仏教が強くなりすぎたこともあり、天皇は都を奈良から京都へと移す。平安京である。そこで登場するのが最澄であり、その少し年下の空海である。最澄はそれまで権力者や高僧たちのものであった仏教に疑問を持ち、全ての者が救われる新たな仏教を求め空海と共に遣唐使として中国へ渡り、そして密教に出会った。
  
  
仏教が生まれた当初は、ブッダのように修行を通して悟りを得た者こそが勝利者であるという小乗仏教があった。その後、救いを求める者は誰であれ悟りの道は開かれている、という大乗仏教が生まれた。ブッダとは「悟り(ニルヴァーナ)」そのものがこの世に現れた姿であり、それは「仏」である。仏の説いた教えを「法」、法を学ぶ者を「僧」といい、この「仏法僧」を仏教の3つの宝(三宝)としている。サンスクリット語の「ニルヴァーナ」には「吹き消す」「消滅する」といった意味がある。煩悩の消え去った安らぎの清寂である。
  
ブッダが説いた教えは、それぞれの人に分かりやすい言葉に代えて伝わっているため、「悟り」そのものとは異なる。このブッダの説いた教えの言葉の一つ一つに重きを置く考えが「顕教」である。そうではなく「悟り」(あるいは「真理」)そのものが至上である、しかしそれは大衆には理解できず一部の修行を積んだ者のみが秘密の儀式を通してのみ理解できると考えるのが、秘密仏教、つまり「密教」である。
  
密教大乗仏教の最後の流れとして生まれた。唐へ渡った最澄空海は中国僧の恵果から密教を学び、日本へ持ち帰った。そして最澄天台宗を、空海真言宗を開いた。比叡山高野山など総本山が山深い場所にあるのは密教ならではであり、これがために山岳仏教、山岳密教という言い方をする。空海は「顕教は仮の教えであり、密教こそが真実の教えである」と考えた。
  
天台宗の儀式で行われる声明が「天台声明」、真言宗の儀式で行われる声明が「真言声明」であり、これが整備され2大声明と呼ばれるようになった。
  
「声明」とは、このように五千年に迫る歴史を持つものなのである。
   
   
ブッダは「悟り(ニルヴァーナ)」そのものがこの世に現れた姿である。よってその死に際してはブッダは「ニルヴァーナへ戻る」という意味の「涅槃(ねはん)に入る」という言葉を残した。
  
すなわち、「涅槃」とは「悟り(ニルヴァーナ)」である。
  
  
  
■黛俊郎「涅槃交響曲
  
梵鐘(お寺の鐘)の音を音響解析し、ステージ上と会場座席後方2カ所の合計3群に分かれたのオーケストラが、梵鐘の響きを会場全体に再現する(カンパノロジーエフェクト)。男声合唱は、このカンパノロジーエフェクトと絡みながら、禅宗マントラである「首楞厳神咒(しゅうれんねんじんしゅう)」、広く各宗派で採用されている経文「略三宝」にて“至高の知恵の完成よ”と「法」を請う「摩訶般若婆羅蜜(もこほじゃほろみ)」を唱える。そして最後にはこの上なく美しい天台声明「一心敬礼(いっしんきょうらい)」をオーケストラと共に歌い、一切の苦から解放された「永遠の涅槃に到達」し、この曲は終わりを迎える。
  
この作品は、1958年に初演されているが、初演直後に40カ国から演奏希望の問い合わせがあったとのこと。
作曲者曰く、「どんなにすばらしい音楽も余韻嫋々たる梵鐘の音の前には、全く色褪せた無価値なものとしか響かない」。
  
私は、この作品は日本管弦楽史上の最高傑作ではないかと密かに思っている。(異論は認める。)
  
  
  
【参考文献】
リチャード・ウォーターストーン・著「インドの神々」(創元社
田中健次・著「図解日本音楽史」(東京堂出版)
八木幹夫・訳「日本語で読むお経」(松柏社
2009/4/7 読売日本交響楽団演奏会、黛俊郎「涅槃交響曲」解説より
NHK交響楽団「尾高賞受賞作品集1」CD解説より
  
【画像】
国宝「仏涅槃図」(真言宗高野山金剛峰寺蔵)

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夢の劇 ー A Dream Play

@KAAT神奈川芸術劇場
(以下ネタバレを含みますのでご注意のほど。)

どのように理解したらいいのか、実は見終わってなお良く分かっていない。

キリスト教音楽の中には受難曲というものがある。すなわち、キリストが死刑宣告を受けてゴルゴダの丘で十字架に磔にされるまでを描いた音楽劇である。
思想上、キリストが罪を背負い磔になったために信者は許しが与えられるようになった、という考えがあるため、受難曲はキリスト教徒にとっては大切な物語だ。その中身は誰も止められない悲劇への行進だが、全てを見終わるとなんとも言えない解放感に包まれる。

この受難曲に似たような混沌の果ての解放感を感じる。ただ、物語の中で苦しむのは神インドラの娘アグネスだけではなく、登場する全員が全員それぞれに苦しみを抱えていて、見終わった後も明確な答えを得たような気分にはなれない。そこはどこか仏教思想或いは密教に近い考えの流入を見てとれて、極めて客観的に見て面白い。東洋的と西洋的が見事に渾然一体となっている。(だが、空間美術や音楽そのものは、どこでもない世界観ながら東洋的というよりは西洋的に寄っていたようにも思う。)

しかしだからこそ、アグネスが物語の最後に綺麗に纏め上げようとしても、それまでに見てきた苦しみが大きすぎて、全て背負うことはできないままになる。後で振り返ってみれば、それを消化せねばならないのはアグネスではなくて「一般市民たち」に他ならない。断っておくが、女優早見あかりの力量でそう見えたわけではなく、この物語の中では「それしかあり得ない」。

プログラム上の解説とは異なるのだが、その背負いきれない苦しみをなんとか纏めようとして、明確な答えのある綺麗な纏りを紡げないままに死の時を迎える、というアグネスこそが実は一般市民であり詩人でありストリンドベリの化身だったのではないだろうか。人はみな、解決できない問題を背負ったまま、それでも憎むべきものも愛おしいと言って死ぬのではないか。

話を元に戻して、劇のタイトルは「夢の劇」だが、果たして「誰の」夢の劇なのか。

自らの言葉に真実を夢想する詩人の夢なのか、いやこれはインドラ自身が悩める人間の姿を具現化するために見た夢か。あるいは、ストリンドベリ自身が詩人を含めた悩める人間の姿を神へ託して救いを請うために見た夢、ともとれる。

難解な物語だ。それは恐らく私がプログラム解説と異なる印象を得ているのと同様に、見た人ごとに伝わったものが違う可能性があるからか。そういった意味では見る前に期待したカタルシスとは異なるものを見た人も多かろう。

しかしこの劇は語るのだ、「それこそが人生だ」と。

新日本フィル、ブリテン「戦争レクイエム」

ダニエル・ハーディング指揮
すみだトリフォニー定期
ベンジャミン・ブリテン「戦争レクイエム」


「私は罪ある者として嘆き、
罪を恥じて顔が赫らむ
乞い願う者を憐れみたまえ、神よ。」


私は新日本フィルに讃辞を送りたい。
彼らの「戦争」という芸術は、観客がもたらした冷ややかな反応と共に、完成を見たからだ。
インスタレーションだった、といってもいい。

戦争を題材とした作品は、ベートーヴェンの「ウェリントンの勝利」を始め古今東西数多存在する。チャイコフスキーの「祝典大序曲1812年」や、ヴェルディの「アイーダ」といった超有名作品と比べれば、ブリテンの「戦争レクイエム」は知る人ぞ知る名曲でありながら、しかしマイナー作品の部類とも言えよう。

とはいえ、実際会場に行ってみれば意外と入っている。
戦争レクイエムもメジャー作品になったもんだ、とも思った。


しかしどうだろう。
私は演奏中、右と左と後ろの3方向からのイビキに囲まれて、戦争レクイエムを聞き、見た。
長らく新日本フィルの定期会員を続けているが、こんなことは初めての経験である。

バリトンが「わたしの焼けつく心は、痛みに縮み上がっている。これこそが死です。」と歌うのを、イビキと共に聴いたのである。
それ以外にも、ずっと後ろのほうからビニール袋のくしゃくしゃとした音が響くし、2階からチラシが落ちてくるし、一体全体何なんだ、と。

そうか、ここの会場には「戦争」という「ファッション」に釣られてやってきた人が、それなりに多いのか。しかし、そういうファッションを生み出した元凶は何かといえば、昨今の「戦争」ということばの流行である。
ここで僕は政治的な話を持ち出す気はない。「戦争」という「ことばの流行」をもたらせたのは、ひとつには安保法案関連の賛成派反対派双方の影響である。しかしそれは、「単なることばの流行」に過ぎない。彼らは、「戦争」ということばの意味を消し去り、価値だけをもたらしたのだ。言い方を変えれば、そこに箱がある、箱には「戦争」と書かれているが、中身が何かは分からない、そんなただの箱に中身が何かも分からないまま、賛成だ反対だと騒ぎ立てている餓鬼達の狂乱である。
実はその箱を開いてみれば中には鏡が入っており自分たちの顔が映し出されるのではないか、とさえ思う。それは人種や思想ではなく、「私の思想は常に正しく、私の思想に相容れない相手には、その道を正さねばならない」という心である。

それでも戦争はなくならない、人間が人間であるかぎり。
その訳は、「正しくありたい」という心があるからではないだろうか。

戦争レクイエムは、レクイエムと銘打っており曲の構成もミサに準じてはいるが、その中身は宗教性のそれほど高くはない戦争詩であり、イギリス音楽らしい霧がかった、しかしどこかリアルな矛盾を含んだ音楽物語である。

演奏家が如何に「戦争」ということばの「意味」を詩にして悲痛な叫びと共に、あるいは深い慈愛と共に歌いあげたとしても、それは大勢のイビキと共に流される。それが実に現代社会の縮図を表しているようで、そういう意味で、観客の冷ややかな反応と合わさったところで見事にインスタレーション芸術としての完成した姿を見たのだ。

恐らく、新日本フィルがこのプログラムを組んだ時、そのような社会情勢の変化まで汲み取れてはいなかっただろう。ならば、今日の日の芸術的完成は、偶然の産物である。ただ、その偶然の産物に実際に傷ついたのは新日本フィル側だったのかもしれない。

それは実に美しい芸術であった。
人間の醜さを露わにした、美しさである。

ハンヌ・リントゥ指揮、フィンランド放送交響楽団

・ヴァイオリン協奏曲(Vn:諏訪内晶子
交響曲第2番
・(アンコール)組曲ベルシャザール王の饗宴」より「ノクターン
・(アンコール)組曲「レミンカイネン」より「レミンカイネンの帰郷」

描き方によって、音楽にもたらされる光というものも十人十色である。

シベリウスといえば「透明感のある輝き(光沢)をもった音楽」というイメージがある。アイスランド響の音楽なんか、そっちだろう。今日の演奏を聴いていたら、ラハティ響でさえそちらかもしれない、とさえ思った。

がしかし、今日の音楽は少し違った。光ある音楽であったが、しかしそれは煌めきというよりは穏やかな日差しが森に注ぎ込むような、ふんわりと差し込む光の中に、木とつとした、木質な柔らかい質感を持った音楽であった。決してテカテカしたようなものではない。

熱量はあったが(ハンヌ・リントゥ氏の指揮っぷりからして)、それでも前出の柔らかさの籠った音楽だった。出だしの金管からして「硬い」、そしてその民族色の「強い」音楽になりがちな曲ではあるが、今日見た姿はそうではなかった。いや、むしろこちらこそが「シベリウスの音楽」という立ち位置から言えば本来の姿なのかもしれない。

ヴァイオリン協奏曲
偉大なるシンフォニストの作った協奏曲は、オーケストラもまた素晴らしい。ただ、その偉大さ故に、ソリストにはオーケストラに負けない力量を求められる。この曲が至難の一曲とされる所以は、そんなところにもあるだろう。現に、ソロが細くなってしまってオケに負けてしまっている演奏も、ま、ま、ある。
ところがどうだろう。諏訪内さんの、その存在感の圧倒的なこと。特にこの曲のある種のハイライトでもある冒頭のヴァイオリンソロが奏でる「ソーラーレ」。この3つの音が醸し出す(べき)孤高感、緊張感はもはや異次元たるもので、そこそこの存在感程度では完全に「音に音楽が負ける」。しかして、それを「弾き込むこと」で打開しようとすると、今度はどこか情熱的な音楽になってしまい、これまたシベリウス世界とはかけ離れてゆく。
その点、諏訪内さんは完璧であった。寒々とした中に凛と筋の通った、姿勢の正しさが垣間見れる。かつ、それがオーケストラと絶妙に調和する。その「まさに協奏曲」たる光景は、3楽章の最後の音まで続いたのだ。
諏訪内晶子さんという音楽の、芸術性の真骨頂を垣間見た。

交響曲第2番
「漣(さざなみ)が聞こえる」とは新田ユリ氏が著書でこの曲に添えた言葉だが、そんな冒頭の弦楽器から始まるこの曲も、前出の例に漏れることのなく、木質の温もりのある音楽であった。
ところどころ、「お?こここんな描き方するのか?」といった部分もあったにはあったが、それは意表をつくというほどのこともなかった。ただ、個人的に持っていたこの曲のイメージよりは、少し疾走感が強い演奏だったように思う。
3楽章のスケルツォを抜けた先の4楽章の、あの多幸感はまるでブラームスの1番を想起させるようでもある。しかし、ブラームスのような全幅の煌びやかな喜びではない。大いなる自然の摂理の中に自分の存在を肌で感じることのできるような密やかな悦びである。
ホールに響き渡った最後の音の、空の彼方への仕舞い方も含め、完璧だ。

アンコールのノクターン、これまた凄かった。その音の最後に向かう減衰の仕方、全てが消え去ってからの長めの沈黙もまた、見事であった。

どうしてこのような音が生まれるのだろう?どうしたらこのような音が生まれるのだろうか。
誤解を恐れずに言えば、音楽は作曲者と演奏者の共同作業によって生み出されるものであるが、そのどちらもがフィンランドという地にあって初めて生まれ得る音空間というものが、この世にはあるようだ。