父は音楽の先生で、大学で名誉教授にまでなった人だった。

 

専門は作曲で東京藝大の出身だが、楽理(音楽理論)の先生でもあり、ピアノの先生でもあった。

 
「いつも楽しそうにピアノを弾く先生で、レッスンが楽しかった」「魔法のように素敵なメロディーが生み出される、楽しいレッスンだった」というメッセージを教え子の方から多く頂いたりした。ある時、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」をピアノで演奏した時に、どうも凄く好きな曲だったらしく、別の演奏家の方から「そんなにこの曲を楽しそうに弾かないでください」と言われた、なんていう話もあったそうだ。
父の授業を大学で受けた人からはこんな話も聞いた。「ある日、学生の一人が犬を連れて授業に現れたんです。そうしたら先生は怒るどころか、その犬と一緒に教室の中を散歩して、仕舞いには犬と一緒にピアノを弾こうとして犬の手をとったら犬にワンワンと吠えられて『怒られてしまいました・・・』としょんぼりしていたのが、強烈に印象に残っています。」 総じて「穏やか」で「楽しい」音楽の授業、いろいろなお話を聞くとそんな風景だったことが想像できた。

 

もっぱら、私が子供の頃は子供たちにも音楽家になってほしかったらしく、ヴァイオリンやピアノの「おけいこ」に通った、というより通わされていた。とても厳しくて、父が夜遅く帰ってきてから「じゃあこれから練習するぞ」みたいな事もしょっちゅうあって、たまに自分で「もう遅いから寝ました」なんて書き置きして寝たこともあった。ヴァイオリンは左手の指の指板に下ろした位置でその音高、音程が大きく左右されるが、旋律が細かくなったり重音になったりすると音程の取り方がどんどん難しくなっていって「うまくできない」がどんどん出てくる。その段階でボウイング、つまり右手で弓をどう操るかまで考えが及ばないくらい、いっぱいいっぱいだった。間違えることも多かった。そういう部分は本当は練習してカバーしていかなければいけないのだが、練習もそんな感じでイヤだったこともあって、ヴァイオリンの先生のレッスンでもうまくできなくなったりする。そうすると、それを見ていた父に腕をつねられたりして、ヴァイオリンの先生の前でポロポロと涙したこともあって先生から「あらあら、どうしたの?」と心配されたこともあった。父の音楽教育は「厳しかった」という印象があるから、教え子の方々のお話はどうにも私にとって意外だった。

 

ヴァイオリンの教則本に書かれている曲のアレンジが気に入らなかった事があって、発表会でやるのに「最後をこういう風に終わらせたほうがいい」と父が書き直して、それをヴァイオリンの先生と「そちらのほうが全然いいですね!」って盛り上がってたことがあった。元の譜面よりずっとシンプルな終わり方にになっていて、それが当時はどのくらい良くなったのかが分からなかったけど、今思えば確かにずっといい終わり方だなぁ、と感じることができる。ちなみにそのアレンジは後にその教則本に採用されていた。

 

そんな父だったので、私は小さい頃からピアニストや指揮者などいわゆる「プロの音楽家」という人を見る機会がたぶん他の人より多かったように思う。まだ私も小さかったので父と話している見知らぬ人がどういう人かもよく分からなかったが、大きくなってからそれが普通によくテレビで見る人だったりするのが分かって、「あの人はそんなに凄い人だったんだ」と思う事もあった。ある時はそれがJ-FUSIONの先駆的な人だったりということもあって、どういう関係であの時話をしていたのか、今でもさっぱり分からなかったりもする。それが良かったのかどうなのかは分からないが、そういう環境の中にあった子供だったので「あぁ、プロの音楽家ってこんな変な人ばっかりなのか」という印象を持っていたことは今でもよく覚えているし、それが自分の将来を考える時の一つの要因となったことは否定はできない。小学生ながらに「音楽家として尊敬できるかどうかと、人として尊敬できるかどうかは別問題だな」とさえ思っていた。

 

ヴァイオリンができる管弦楽部というものが私の中学にはなかったので、友人の勧誘もあって吹奏楽部に入ることになった。打楽器をやることになった経緯はあまり覚えてないが、ヴァイオリンの先生からは「あなたはリズム感がないから良いかもしれない」と言われたことは覚えている。それから高校へと吹奏楽部を続け、大学進学の時分になって、さて音楽系に進むかどうか、となった時に父から「音楽系はやめておけ」と言われたりもして、理系の大学へ進んだ。そこで私は音楽を完全に趣味の位置においた。

 

いや、私にとって打楽器はその道に進んでもよいなと思えるほどに楽しかったのだが。高校での吹奏楽部では一時期打楽器パートが私一人だったりした事もあって、そうなるといろんな曲を全部自分一人でやるために、自分の周りにスネアドラム、シンバル、ティンパニシロフォンヴィブラフォン、タンバリンやトライアングルなどの小物を全部並べて、まるで秘密基地のように楽器に取り囲まれて両手両足を使っていろんな音を出す、複数の楽譜を同時に見ながら「Solo」と書かれているのを見つけてはそれを落とさない(演奏抜けのない)ように一発バシッと音を出すのは、かなり無理矢理な演奏だったわけだが、それはそれで気持ちよかったし楽しかった。今でも、YouTubeにアップされている「Percussion Cam」という、いろんな打楽器を一人で操る姿を写した動画を見ては「楽しそうだなぁ」と思ったりもする。

 

父は、いわゆる「吹奏楽」というジャンルがよく分からない人だった。というか、後で「あまり好きではなかったのかもしれない」というお話まで聞いた。吹奏楽曲はあまり作ってこなかったし「学生からヤン・ヴァン・デル・ローストの話とかを聞いたんだが、それが誰なのかさっぱり分からない」「ディスコキッドという曲のアレンジCDを頂いたのだが、この曲は有名なのか?」という相談を受けたこともあった。とはいえ、以前ある知り合いの中学校の吹奏楽演奏会を聞きに行ったら、偶然にも父の編曲した譜面が使われていて、レアな機会に出会えたこともあった。父の作った数少ない吹奏楽曲は、実際には吹奏楽をよく知っているような見事な作品だったのも、私にとって凄く意外な出来事だった。補作があったのかもしれないが。

 

私は、中学高校から大学へと吹奏楽にどっぷりで、コンクールにも出たし、大学ではコンクールの運営人として舞台裏の住人にもなった。「吹奏楽の甲子園」と言われた普門館の舞台裏にもしばらく立って、そこで生まれた伝説も幸運にも立ち会うことができた。そんな人間だったので「コンクール至上主義」の良さも悪さもなんとなく肌で感じることができたが、父は吹奏楽というジャンルが嫌いだったというわけではなくて、本能的にそういうものを避けていたのではないか、とも思う。そういえば、私がコンクールの運営人だった時に吹奏楽コンクールの大学予選を全部聞きに来たことがあった。感想を聞いたら、まずはじめに「あれ全部聞く審査員は大変だね」という言葉が出てきた。そして、1団体ずつ細かくメモを書き込んだプログラムを見ながら、自分が感じた「良い演奏」とコンクールの審査結果が異なっていたりして、なんだか不満ともとれるような意見を聞いたこともあった。

 

父はどっぷりとクラシック音楽分野の人だったので、それこそ私も初めて買ったCDがチョン・キョンファの演奏するチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(シャルル・デュトワ指揮、モントリオール交響楽団)だったり、中学時代にはシベリウスのヴァイオリン協奏曲(演奏者不明)に出会いその魅力に取り憑かれたりして、どっぷりクラシック畑だった。その当時はまだ著作権の切れていなくて値段の高かったシベリウスの楽譜を買ってきてくれたこともあった。ただ、あるときからそんなわけで、父と私は異なる音楽経験をするようになっていった。

 
私はゲームFinal Fantasyをやったりして植松伸夫の音楽も好きになり、特にFF4の「Celtic Moon」というアレンジアルバムを聴いてケルト音楽というものに興味を持ち、ケルト神話を読んだりして、それがシベリウス音楽が持つ「スオミ」(=フィンランド)の世界観や、グリーグの「ホルベルク組曲」が持つノルウェーの深い森、自然が放つ「木の香り」のする世界感などと重なってゆき北欧文化の魅力にどんどんハマっていくのだが、父はどちらかというとシューマンメンデルスゾーンなどのドイツ音楽やフォーレラヴェルなどのフランス音楽が好きであったので、そこにも趣味の境界線が少しずつできてきたな、と感じる時期でもあった。

 

ある時、プロコフィエフのバレエ曲「シンデレラ」に、同じくプロコフィエフの「3つのオレンジへの恋」の行進曲が丸々使われていることを見つけ、他にも引用がないか、プロコフィエフの曲をいろいろ聞いていたところ、父から「お、いいね。プロコフィエフの専門家になったらどうだ?」と言われたことがあったな。あまりにも父の一言が斜め上すぎていたので、私は全く本気にはしなかったが。

 

さらに私は大学に入ってオリヴィエ・メシアンの「我死者の復活を待ち望む」(ピエール・ブーレーズ指揮、クリーヴランド交響楽団)を聞き、これが衝撃的な出会いとなり、「現代音楽」という深淵なる世界の扉を開けてしまった。それから黛敏郎シュトックハウゼン、トリスタン・ミュライユなど新しい音楽を聴き漁るようになった。無調無拍子の世界、しかしその描く表現主義的な意味論と、ジャクソン・ポロックの絵のような抽象主義的な方法論の交錯する世界の魅惑は自分にとって新しくて実に面白いものだったが、「無調無拍子でなければ音楽ではない」という世界で作曲を学んできた父にとってその世界はむしろ拒否反応さえ持つものだった。「そういう音楽(無調無拍子)、作るの得意だよ」父はよく言っていた、もちろん皮肉をこめて。武満徹や石井眞木、矢代秋雄など日本近代作曲家の話になると、よく「あの先生はあの先生の弟子で」という歴史的な話をしてくれた。

 

 
そういう話とは全く平行して、父とは様々なジャンルの音楽の話をした。

 

父はよくStevie WonderABBA、Earth Wind & Fireを聞いていたし、Earth Wind & Fireの日本公演DVDはお気に入りだったようで大学の授業で鑑賞会もしたようだ。1年ほど前に一緒に旅行した時は車の中でずっとQuincy JonesのThe 75th Birthday Celebration liveを流していたら、とても楽しそうに見入っていた。昔からBill Evansの音楽も好きで、"One For Helen"などの曲のアドリブを全部書き起こした楽譜を買ってきては見たり演奏しようとしたりしていた。私がピアノ譜をPCに打ち込んで譜面に載っていないベースラインとドラムを打ち込んでみたら、それを頼りに演奏しようとしていたようだった。Chick CoreaHerbie HancockDave Grusinのアルバムなんかを買ってくることもあって、そういうものを私も聞き、ジャズやブラックミュージックのカッコよさも知ることができた。私は高校時代に私の友人の多くがそうであったように、ルパン三世'80のビッグバンドとヴィブラフォンの組み合わせというものがカッコイイと思って、そこからMilt Jacksonの"Invitation"というアルバムを買ったことを皮切りにジャズヴァイヴの世界、そこからジャズをいっぱい聴くようになってBenny Goodman QuartetのLionel HamptonGary Burtonを聞くようになったり、Herbie Hancockの来日ライブや、Milt Jacksonが共演した「西海岸最強ビッグバンド」と呼ばれるThe Clayton-Hamilton Jazz Orchestraの来日ライブを聴きに行ったりした。Gary Burton小曽根真と一緒にクラシック音楽をアレンジしたアルバム"Virtuosi"を発見し、ラヴェルの「クープランの墓」がジャズになっているのを聞いたり、あるいは小曽根真東京都交響楽団バーンスタイン交響曲「不安の時代」を演奏しているのを聞きに行ったり、ラテンジャズのパイオニアであるMichel Camiloの自作自演のピアノ協奏曲を聞きに行ったりして、ジャズとクラシックの交差点というものの存在が確立していることを知り、それはそれで面白いなとも思ったりした。特にMilt Jacksonの音楽はジャズヴァイブの世界でも美的感覚の鋭さがすさまじく、私はその「神様」と呼ばれる音楽世界に陶酔さえした。

 

父は作曲や楽理の先生であったが、大学では10年を超えてポピュラー音楽理論ワールドミュージックの授業も行っていた。それこそ最初の頃はジャズとは何か、みたいなものも随分と専門分野外だったようであらゆる本とCDを買い込んで研究していた。私がミシシッピ・デルタ・ブルースやテキサス・ブルース、シカゴ・ブルースの曲を並べてそれぞれの違いをCDにまとめて父に渡したこともあった。「ビバップとスウィングのドラム奏法の違い」みたいな話を父とした事があって、「バスドラムの踏み方が違う」みたいな話に「それ面白い」と父が返し、やいのやいの楽しい話をした記憶がある。

 

父はそういった研究を行っていたこともあり、本当にいろいろな音楽をよく知っていた。Sérgio Mendes & Brazil '88や、Antonio Carlos Jobimもよく聞いたし、ボサノヴァのライブには連れて行ってもらったりもした。父はボサノヴァのリズム形態は8ビートベース、と言っていたがあれはサンバ・バトゥカーダがジャズアレンジされてきているものだからスローな16ビートと捉えるべきなんじゃないか、サンバとボサノヴァの繋がりはよく認識されないといけないのではないか、なんていう議論をしたこともあった。「マリアッチとはどういう音楽なのか」と説明されたこともあった。いや、質問した記憶はないが。Ravi Shankarの凄さの話から、タブラというインドの打楽器の鳴らし方の困難さと極めて複雑な拍子をとるリズム形態の難解さ、そして1曲で30分を超えることもあるその音楽の単純な長さの話になって、北インドの音楽と南インドの音楽は違うんだ、と力説されたこともあった。私が沖縄は宮古島の伝統音楽の演奏会を聞きに行き、カミウタを聞いて最後にカチャーシーを踊った、という話をすると「オタクだな」と言われたこともあったが、いやいや、と。能や狂言、歌舞伎、浄瑠璃長唄なんかもよく知っていたようだったが、私が全く知識がないもので、さっぱり話をすることはなかった。日本音楽では、雅楽の話を少しだけすることがあった。「まずは越天楽を知るべきだ」「宮内庁の演奏が素晴らしい」、そんな事を言っていたが。父の作った音楽の中には日本的な旋律を取り入れた作品もあって、いわゆる邦楽に対する一通りの分析はもう随分昔に通り過ぎたようであった。ただ仏教声明については、「天台声明と真言声明という2大声明があって」といったような話はむしろ父はよく知らないようであった。が、声明とグレゴリオ聖歌のコラボレーションCDを見つけてこれを家で流していたら「これは面白い」と言っていたことがあったな。

 

映画音楽、ミュージカルの話もよくした。テレビを見ていて、何かしらの音楽が流れると「これはベンハーの音楽」「これはスタートレックの音楽」「これはザ・ロックの音楽」「いまのはETの音楽」みたいに言い合いっこになることもあった。父からはジョン・ウィリアムズの音楽だけでなく、ジェリー・ゴールドスミスの音楽やミクロス・ローザの音楽なども知った。久石譲の音楽はむしろ「ミニマルミュージック」というスタイルのイメージが強かったようで、ジブリ関係の音楽が流れると、そんな話になることも多かった。ミニマルミュージックはあの当時の一つの流行りでもあったから、その影響も強いのかもしれない。「久石譲の名前はQuincy Jonesからきてる」なんて話は父から聞いた。僅かではあったが、大島ミチルの音楽や菅野よう子の音楽についても話すことはあった。私個人的には菅野よう子はゲーム「信長の野望」やアニメ「攻殻機動隊」、あるいは映画「紅の豚」のエンディングテーマ「時には昔の話を」なんかで知っていたが、父はNHKドラマ「ごちそうさん」や「直虎」で知ったようだから、少し情報ギャップがありつつ話ができたことはなんだか不思議な感じだった。「紅の豚」は父と見に行った映画だったが。

 
オペラ座の怪人」の音楽も好きで授業でも使っていたこともあるようだけど、アンドリュー・ロイド・ウェバーのその他の作品、「ジーザス・クライスト・スーパースター」、「CATS」なんかもよく聞いていた。むしろここらへんの音楽は父というより母が好きだったようにも思えるが。「天使にラブソングを」の劇中歌「Joyful Joyful」をアレンジしようとした時に「こんなの生楽器で出ないよ」と嘆いてたこともあったし、「オペラ座の怪人」の曲を楽譜に起こそうとしていた時に、「どこで拍子が変わるのかが分かりづらい」と言われて「ここで4拍子から2拍子に変わって、2拍子が1小節続いてから4拍子に戻る」というような事を一緒にチェックしたこともあったかな。

 

父はJ-Popsを聞いていることは少なかった。サザンオールスターズは好きだったようだが。私はゲーム音楽やアニメ音楽、そこからala、ハイスイノナサ、WEAVER、WHITE ASH、在日ファンク、レキシなどなどのJ-Pops、J-Rock、それにももいろクローバーZ有安杏果私立恵比寿中学Negiccoなどのアイドル音楽にも目覚めるようになって、アイドルライブで「イェッタイガー」って叫ぶ面白さが最近分かるようになってきた。アイドル現場における「イェッタイガー」というコールは好きな人も嫌いな人もいるが、いわゆるオタ芸を含めて、「演じる」と「聞く」の立場がクラシックコンサートやジャズライブなどにおけるそれとはだいぶ異なるバランスが要求されていて、たまにそれが崩れることがあってそれが嫌がられる原因の一つなのだろうが、奇跡的なバランスの中で両者の関係がうまく保たれている現場においては非常に力強い。が、父とはついにその分野について話すことはなかった。

 

 
音楽という分野は知れば知るほど奥が深く広い。クラシックはクラシックの楽しみ方というよりは「楽しむポイント」みたいなものがあって、それは現代音楽にも同じように「楽しむポイント」がある。同じようにジャズにはジャズの「楽しむポイント」が、映画音楽にも、インドの音楽にも、雅楽にも、ゲーム音楽にもアニソンにも、アイドル音楽にも、クラブミュージックにも、ファンクにも、ロックにも、パンクやメタルにもヒップホップにもそれぞれ「楽しむポイント」がある。ある分野にだけゾッコンとなっていて、そこからかけ離れた分野が自分にとって「面白くない」と感じるとき、それは実際に面白くない音楽であるわけではなく単に「楽しむポイントを知らないだけ」なんだと感じるようになってくる。何度も何度も聞いているうちに、例えばアイドル現場における「イェッタイガー」の在り方論みたいに、面白くなるポイントが徐々に分かってくる。現代クラシックの無調無拍子やチャンスオペレーションミュージック(サイコロを振って出た目でどの音を鳴らすかを決めるような音楽)も最初はさっぱり意味が分からなかったが、いっぱい聞いていくうちに、その中の無機的な構造性にどのような人間の感性が挿入されていくか、どのような風景や匂いが乗ってくるか、といった面白くなるポイントが少しずつ分かってくる。自分にとって新しい音楽の分野に興味を持ち、聞く、ということを繰り返し繰り返し行っていくと、「今自分の知らない音楽であっても、それは自分にとって面白くない音楽なのではなく、自分がまだその音楽の面白さに気づけていないだけなんだ」という感覚がどんどん根付いてゆく。

 

あらゆる音楽ジャンルが持つ「楽しむポイント」をかき集めてきて、それぞれのジャンルの固有な部分、そのジャンルでしか通じない部分をどんどんそぎ落として、共通に考えられるところだけを拾っていく。そうすると、最後には、全ての音楽ジャンルを包含した、最も純粋な意味での「音楽」が持つ魅力だけが残る。それは、地域や時代、人種や年齢を遙かに超越した「人間という生き物にとって大切なもの」としての音楽だけが残るのだ。

 

舞楽やお囃子、グレゴリオ聖歌黒人霊歌も、あるいはマンボ、あるいはガムランのような音楽もそうだが世界中に存在する極めて多くの音楽や舞踏が、神事や呪術、豊穣豊作や泰平あるいは死後の世界に対する「祈り」の用途をその根に抱えているわけだが、しかしそういった「用途」を超えて人間は元来として音の連続したものを楽しむという気質が備わっているのではないだろうか。極論を言えば、そうった用途がたとえ無かったとしても、音楽という文化は発生していたのではないだろうか。それこそ文字の文化が流入し成立する以前の日本に古くから受け継がれてきた「うた」の文化のように、宗教的なあるいは儀式的な意味合いよりももっと「ただ楽しむ対象として」の音の世界、あるいは音楽的な何かがあったのではないか、とさえ想像を膨らませることができる。

 

「この世の中のあらゆる人は自分が楽しいと感じる音楽の世界を持っている」という事実は、実に凄い。しかしそれは「人間にとって大切なもの」としての音楽が存在するからこそ為されるものであり、だからこそ「音楽でしか癒やすことのできないもの」を人の心に届けることができるのだ。

 

ここまできて初めて、音楽って何なんだろう、と考えるスタートポイントに立てるようになると思う。

 

このポイントまで来て音楽の話をするのは非常に難しい。このポイントで「趣味が合う」と言える人とはまず巡り会うことはできないだろう。家庭内であっても、例えば兄はシラーの詩を「下手くそ」と言い切ってしまうほどに文化芸術的なものに興味が無く、そういう意味で、父ほど多岐にわたる音楽の話ができた人はいなかったし、これからもいないだろう。

 

 
そんな父がこの2018年の10月7日に亡くなった。
父の葬儀では父が作曲したレクイエムを流した。

 

 
父が最期に聞いた音楽は、9月25日にサントリーホールで演奏されたサイモン・ラトル指揮、ロンドン交響楽団によるマーラー交響曲第9番だった。私がプレゼントしたチケットで、私は聞きに行けなかったのだが、その演奏を聴いた父は「凄かった」と興奮気味に語っていた。1~3楽章までと4楽章とで違う曲かと思うほどに、ラトルの4楽章への力の込め方が凄かった、と。私は「1楽章冒頭のファ#-ミの音型は、マーラーの前作『大地の歌』の最終楽章で『永遠に』という歌詞に付けられている音型だ」というと、「2つの作品は繋がっているのか」と応えた。そうなのかもしれない。「永遠」という音型は「ファ#ーミ-レ」であってはいけない、それでは音型として”完結”してしまい永遠とはなり得ないし、かつ安易にすぎる、あれは「ファ#-ミ」でなければならないのだ、そういう話で父と盛り上がった。

 

「生」への執着が詰め込まれた「大地の歌」から「永遠に」という言葉を介して繋がる、マーラー最後の交響曲。全ての交響曲の中で最も特別な音楽。その最終楽章は安らかなアダージョであるが、その最後は一段とゆっくりと、そして徐々に音の数も少なくなってゆき、仕舞いには第二ヴァイオリンとヴィオラとチェロだけが残りごくごくシンプルな変ニ長調の穏やかな和音が静かに響き、「青空に融けゆく白雲のように」(ブルーノ・ワルター)ゆっくりと消え、終わる。

 

父の携帯メールの履歴には、9月27日に仕事上の付き合いのある方に「命の期限が近づいているようです」と送っていた形跡があった。
迫りくる死を感じながら、この音楽が来たるべき平穏を予見するものであったら、と願う。

 

 
私は父のおかげで、「人間にとって大切なもの」を感じられるところまでやって来ることができた。
ありがとうございました。

 

雑記 - 有安杏果のこと。

我々の思想には、具体と抽象の間に無数の段階を持っている。
ある具体の層で問題が発生すれば、そこから本質と類推されるものを抽出し雑多な周辺事象を排除した一段階上の抽象の層へ上がり、そして問題を考え対応を考え、そしてまた具体の層へと降りてゆく。問題が大きければ大きいほど、上り詰める抽象の層は、よりその抽象度を増していく。

 

ももいろクローバーZ有安杏果が、引退した。
実のところ、この事件はここ数年で一番衝撃的だったし、今もってそれをうまく飲み込めているのかどうかと問われれば少し言葉に詰まる。

 

ちょうど、昨年仕事でベルギーへ行った時に「さて、芸術とは何だろう?」という問いがふと沸く瞬間に遭遇し、そこで何か思考の変遷をまとめようと思いもしたのだが、頓挫し、そうこうしている間にこの事件が起きたことで、やはりこの問いを見つめてみようというきっかけになった。タイトルに杏果ちゃんの名前を付けたのは、これを書くきっかけとなったかな、という思いも含まれている。ただ、ももクロの話はそれほど多くないので、その話を期待する方には面白くない文章だろうと思う、ということをはじめに述べておく。

 

先日、仕事でベルギーのブリュッセルへ行った。

ブリュッセルといえばEUヨーロッパ連合の本部がある街だが、かといってそんな巨大な街というわけでもない。交通の要所だったからか観光客も含めて人通りは多いが、とても路上も綺麗だし街並みも美しく、昨今の欧州の政治事情からかどこかぴりりとしている雰囲気さえ漂う。そんなブリュッセルの市街を見下ろす「芸術の丘」と呼ばれる小高い丘の上に立つのが、ベルギー王立美術館だ。この美術館がまた地上2階から地下7階まで伸びるヨーロッパを代表する巨大美術館の一つであり、「ブリュッセルに来る機会もそうそう無いわけだし、ここはちょっと寄らないとまずいだろう」と思って、休日に訪れてみたわけだ。

 

たしかに、パリのルーヴル美術館のような、まるで人類の歴史がすべてそこにあるような、「世界最大」と呼ばれることもある美術館に比べてしまえば、展示されている世界観は多少コンパクトなイメージはある。しかし、そこにはルネサンス時代の絵画、食器、キリスト教聖具などから、ルネ・マグリットに代表される現代美術にいたる様々なものがあって非常に面白い。取り立てて、ベルギー美術史はもとより西洋美術史にその名を大きく刻み込まれるベルギー・バロックの代表的な画家、「フランドル派の伝統の到達点でありその最も偉大な代表者」とも言われるルーベンスの絵画には、その美とスケールの大きさから畏怖の念に包まれ身震いさえした。

 

その絵画の単純な大きさや描かれる情景の勢い、劇的な表現、陰影の演出、人々の表情、写実性といったものの、それも見事なのだが、それらを遙か彼方上方からすべてを包み込むように降臨してくる、見る者又そこにいる何者をもを無にさえ還す、眩い光の世界にこそその凄さの核があるように感じる。ちょうど、「フランダースの犬」の物語のラストで、ネロがアントワープ大聖堂にあるルーベンスの絵画を見て息絶える瞬間のような。

 

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(ピーテル・パウルルーベンス/「Assumption of virgin(聖母被昇天)」)

Assumption of Virgin, 1616 - Peter Paul Rubens - WikiArt.org

 

神はその絵の中にいる。


直感へ訴えかけられてくる。そういえばルーベンスだけでなく、一時代古くなるラファエロの絵画や、さらに後の時代になるドラクロワの作品であったとしても、それをじっと見ている時間軸の中に「神の存在に対する圧倒的な確信」が芽生える瞬間がある。その瞬間というものは、実のところ音楽を聴いていた瞬間に感じるものとは強さの面で全くに異なる。それがバッハのマタイ受難曲であったとしても、あるいはモーツァルトのレクイエム、あるいはオリヴィエ・メシアン、あるいはクシシュトフ・ペンデレツキであったとしても。

 

なぜこのような違いを感じるのだろうか。我々は聴覚から入る情報よりも視覚から入る情報量を圧倒的に「多く」感じる生物であるから、結局的に絵画によって感じる霊感は自ずと強くなってしまう、そうであれば「絵画美術は音楽より優れている」のだろうか?もしそうであるならば、では、そもそも芸術とは何か。

 

この問いについて、一つの解を次の言葉から模索する。


「あらゆる芸術は音楽の状態を憧れる」


19世紀英国ヴィクトリア朝時代の著名な文筆家、批評家であるウォルター・ペイターが著書「ルネサンス」の中に記した言葉である。少し、この著書からの言葉を抜き出してみようと思う。曰く、

「各芸術の感覚的内容は、他の芸術の形には翻訳不可能な特殊な美の相あるいは性質をもたらし、劃然(かくぜん)と種類の異なる印象を作り出す、という原理を明確に把握することこそ、すべての本当の美的批評の第一歩となるのである。(中略)おのおのの芸術は、独特の翻訳不可能な感覚的魅力をもち、想像にはたらきかけるのにもそれぞれ特殊な方式をもち、題材に対してもそれぞれ特殊な責務を持っていることになる。批評の一つの機能は、これらの限界を規定することである。(中略)音楽においては、音楽的魅力、すなわち音楽をわれわれに伝える特定の形式とは無縁な言葉を少しも前面に押し出すことのない、音楽の本質に注目することである。」
(ウォルター・ペイター「ルネサンス」別宮貞徳訳、中央公論新社より)


「他の芸術の形には翻訳不可能」とは詰まるところ、それが例え文学的であろうとも言語表現では代替ができないことを含意してくる。20世紀を代表する作曲家であるイーゴリ・ストラヴィンスキーの言葉「音楽は音楽以外の何ものも表現しない」は、こういう文脈をも想起させる。すなわち言葉で表現している内側に音楽の真の美しさは決して表れてこないのである、と言ってしまった瞬間にいろいろな事を放棄してしまうようにさえ思えてくる。ただ、芸術とは何だろう、と考えてみる試行の中でこの示唆はきわめて重要だろう。表現者でも分析者でも批評家でもない人間が書くモノに、少しは「重み」を持たせるためには、この示唆を喉に詰め込んだ上で次の言葉を発する必要もあるのではないかと思う。


話の筋からはズレるが、このペイターの言葉の意味する芸術には科学技術の内に秘められる美が含まれているように思う。近年はフラクタルのように数理論理を視覚的に表現して美とする指向がなくはないが、しかし数理科学の本質的な美はやはり数式や論理そのものの中にあるのであり、その美しさを言葉で表現することは実に難しいなと思っていた事をふと、この言葉から思い出した。

 

閑話休題。続いて、再びペイター曰く、

「何となれば、(音楽以外の)すべての芸術にあっては、内容[題材]と形式を区別することが可能で、悟性はいつでもこの区別をなしうるのであるが、それを消そうとするところに、芸術は不断の努力を注いでいる。(中略)この芸術の理想、この内容と形式の完全な一致が申し分なく実現されているのは、音楽芸術である。至上の瞬間においては音楽では目的と手段、形式と内容、主題と表現の区別がつかない。それらは互いにかかわりあい、完全に飽和しあっている。それゆえに、すべての芸術は音楽-その完全な瞬間の状態を絶えず志向するものと想像される。」
(同)

 

ゴジラ」の音楽で有名な伊福部昭は著書の中で同じことを次のように例示してみせている。

「もしフランスの作曲家が、日本の在来ある旋律を主題、すなわち素材としたとしましょう。この場合、この作品の国籍を聴き分けることはかなり困難となるのです。これは採用された主題が、素材なのか表現の一部なのかということが、音楽にあっては極めて錯雑しているからなのです。」
伊福部昭「音楽入門」、角川文庫より)


「何が表現されているか」と「どのように表現されているか」との間に剥離不可能性が高ければ高いほど、人間は悟性ではなくより感性に近い部分でそれを感受する。悟性の動き、知性による対象に対する理解の動きが「機能しない領域」での心への突き刺さりこそが、芸術の芸術たる要素、美の美たる要素なのではないか。それを完全に実現しているものこそが、音楽なのである、と、そう見えてくる。つまり、「神の存在に対する圧倒的確信」はどちらかというと悟性の働きによるものであり、それに対して、芸術の芸術たるべき相とはそれを超えたところにあるのである、という答えらしきものが見えてくるのである。


悟性の機能しない、より感性的な知覚領域へ近づいてモノを感じる方法として、ごく最近個人的に流行っていることがある。それは「匂い」に置き換えることである。

 

「犬と小供が去ったあと、広い若葉の園は再び故の静かさに帰った。そうして我々は沈黙に鎖ざされた人のようにしばらく動かずにいた。うるわしい空の色がその時次第に光を失って来た。眼の前にある樹は大概楓であったが、その枝に滴るように吹いた軽い緑の若葉が、段々暗くなって行くように思われた。遠い往来を荷車を引いて行く響きがごろごろと聞こえた。私はそれを村の男が植木か何かを載せて縁日へでも出掛けるものと想像した。」
夏目漱石「こころ」より)


想像の内側にその風景に流れる「匂い」が入り込んでくる。同じように、絵画を見たり、音楽を聴いたりした時に、耳や目に入り込む瞬間と、何がどのように表現されているかの理解との間で「どのような匂いがそこに流れているか」を感じ取ること、これによってその世界へ自分を浸透させることができる。文学、絵画はもとより、彫刻陶芸、音楽、果ては美術刀剣においてもこれは通ずると確信する。

 

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本阿弥光悦・作/白楽茶碗・銘「不二山」(国宝))

本阿弥光悦「白楽茶碗 銘不二山」 | 骨董品LAB|骨董品、美術品、アンティーク等

陶芸品であってもその景色に流れる空気の香りを感じ取ることができる。

 

音楽ではたまに、曲の持つ匂いと演奏が持つ匂いが乖離することがある。シベリウス作品のようにフィンランドの気候をたっぷりと含んだ楽曲を、南アジア地域のようなモンスーン気候の匂いを前面に押し出して演奏されるのは、強い違和感を感じる、といったことさえある。そこにはいわゆるピッチなどといった表面的な技術上の上手い下手は関係しない。

 

時には、非人間的なほどに極端に精緻に風景が描かれていることで、その匂いがはっきりと想像できる、といったことがある。絵画であれば一つは写実性であり光と影への演出であり遠近であり、音楽であればピッチであり縦の線であり、またごくごく細かいアーティキュレーションであったりする。ただ、それは精緻であれば良いというものでもなく、例えば大きなエネルギーによる衝撃や、あるいは極端に強い、弱い人間精神の表現などにおいては、むしろ不精緻さこそがその内容を忠実に物語る上での重要な表現要素となり得る場合がある。無論緻密性の持つ価値そのものを否定するつもりもないが、だがしかし実のところ、作品の表現上の技巧的精密さといわゆる「芸術性」に直接的な関係はない。

 

1976年、当時89歳のピアニスト、アルトゥール・ルービンシュタインが指揮者ズービン・メータ、イスラエルフィルハーモニー管弦楽団と共に録音したブラームスのピアノ協奏曲第1番がある。20世紀の巨匠の最後の録音である。「精巧か?」と問われれば、「いやもっと精巧な演奏はあるだろう」と答えるが、「圧倒的か?」と問われれば、「これほど圧倒的な演奏はまずないだろう」と答えよう。

 

人間がその悟性の及ばない領域で芸術作品に感動をするには、むしろ精緻さとは違う軸での「芸術性」の評価が必要である。その一つの軸が僕個人では「匂い」なのである。

 

そういった文脈において、有安杏果の音楽は「美しい匂い」を感じる音楽だった。


芸術の、本当に魅力的な所の一つは、「人間的でなくなる瞬間」の存在であると思っている。何年も時間をかけて、無数の視覚作品、音楽を見て聞いていくと、時にその「芸術性」という指標の中に、表現者や鑑賞者の中の瞬間的な内的問題や表現の場における周囲環境などの外的問題において偶発的な要素も相まってさらに一段昇華されてくる作品の存在に気づく。非常に稀なことだが、こういった作品との対峙においては、「これは人間がその手で作っただけでは得られない世界なのではないか、神がそこに降臨したのではないか」と思えてくる。その時に芸術作品の中に人間的でなくなる瞬間が見えるのだ。これが見えるからこそ美は恐ろしい。

 

ただ、我々はよく知っているのだ、良い人間が良い作品を作るわけでもなければ、悪い人間が醜悪な作品を作るわけでもないということを。ゴッホの作品を見てそれに感動するが、後でゴッホが自身の耳を自分でそぎ落とした事件を知ると、なんと作者のことを知らなかったのだろうと、唖然とする。同じような事は多々言える。その最たるはワーグナーではなかろうか。「彼の作品の評価をするには、彼の著書の事はすべて忘れなければならない」とはよく言われたものだ。その悪名高き著書を差し引いても、ワーグナーの音楽の美しさはその光を失わない。

 

もし鑑賞者が作者のことをよく知っている、あるいは知らないといけない、と考えるのであれば、それは誤りである。芸術の核心はそこには存在しない。

 

美は、ただ美として存在しているのであり、それは人間としての作者と切り離しても、永遠に存在し続けることができる。


冒頭記述の通り、ももクロ有安杏果が卒業した衝撃でこのブログを書き始めたが、結論としてはここにある。卒業を知った時に、なんと彼女のことを知らなかったのだろう、と思い知らされたわけだし、だからこそ今この瞬間から先未来に向けての有安杏果という存在に対する何らの期待をも、実のところまた空虚きわまりなく(彼女のことを知らないのだから!)、また、そのことと彼女の生み出した作品の美しさは切り離すことができ、そして、その切り離された作品の美しさは永久に残り、末永く感受することができるのである。

 

今改めて思うが、僕がももクロの存在に惹かれたのは、こういったファインアート的な検討に耐えうる存在であったからなんだろうな、と思う。

茶碗の中の宇宙

茶碗の中の宇宙

茶碗の中の宇宙〜楽家一子相伝の芸術
東京国立近代美術館


あぁ、陰翳礼讃の文化は今ここで終わったのだな。

と、なんだかそう感じた。

いや、そもそも谷崎潤一郎は随筆「陰翳礼讃」の中で、電気というものの普及によって消えゆく美の姿を惜しみ、しかしその贖えない世相の流れを汲み「愚痴でしかない」と何度か述べているわけで、それは諦念の中にひっそりとしのばせる類の物なのかもしれないが。

といって、その谷崎潤一郎は「陶器ではだめだ、漆器でなくては和食の良さは生み出されない」とまで述べているから、陶器としての茶碗の世界から見れば宿敵という扱いをされても致し方ない。
まったく、魯山人はこれをなんと思ったのだろうか。


楽茶碗の世界。

展示は初代長次郎から二代常慶、三代道入(ノンコウ)、と一人ずつその作品を現代の姿に至るまで見ていく旅だ。少し進む度に長次郎に戻ってみると、長次郎の何が凄いかが立体的に浮かび上がってくる。

長次郎碗の展示も他の時代に比べると暗く、というか時代を追うごとにどんどんと明るくなっていき、最後はどうにもギラギラとしてくるのだが、「はじめの時代」の照明は実によく陰翳の世界を生み出してくれている。侘び茶ここにあり、とでも言いたげである。

仄かな明るさが、ある方向からひっそりと当たり、深い影の世界を作り出している。長次郎碗のその小さいながらも朴訥とした佇まい、内省的世界から生み出される「影」の世界は、それはそれですさまじい精神的な鋭さを兼ね備えており、まさに日本が誇るキアロスクーロなる世界の頂点が、そこに居るのだ。影が、とんでもなく美しい。

 

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初代 長次郎《黒樂茶碗 銘 大黒》
文化庁広報誌「ぶんかる」より

http://www.bunka.go.jp/prmagazine/rensai/diary/diary_032.html


俗に、茶碗は「一井戸ニ楽三唐津」と言われているが、私個人としは楽茶碗のそれも黒楽茶碗の持つ、何者をも飲み込む黒、墨黒でも鋼黒でもない、世界の深淵と世界の始まりを持つ「引き出し黒」と言われる土の黒の世界がどうにも好きで。本阿弥光悦がそれに取り付かれ、そして尾形乾山へと繋がっていく日本の陶器史における重要なマイルストーンとなり得たことも、その楽茶碗の語らう無言の深さを思想すればこそ、まったくもって至極当然であり、感嘆とする。今回、長次郎碗を改めてまじまじと見て、あぁ、これが好きなんだな、と再認識したわけだ。

勿論、ノンコウ碗も実に渋くて良い。ただ、最早ノンコウ碗でも長次郎碗と違った方向性の「強さ」を感じる。その世界は哲学的というよりは美的好奇感覚のほうが強いようにさえ思う。長次郎碗の深淵さに比べてしまえば、刷毛目が一本入っただけで、それが持つ陰翳の世界はガラリとその姿を変えてくる。景色が鮮やかになるほどに、目はそちらの風景の持つ詩的世界への理解へと動き、自己への顧みを促す内省的な深淵さは遠去かってゆく。例えれば、ノンコウ碗「鵺(ぬえ)」でさえも、その詩情が語りかけてくるわけであり、どこまでも清寂な長次郎の碗とはどこか異質な世界が繰り広げられている。

 

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三代 道入/のんこう《赤楽茶碗 銘 鵺》
文化遺産オンラインより

http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/278173


八代得入の碗くらいまではそれでもノンコウ碗のような内省的な思考の表現があったわけだが、しかし近代碗、現代碗はどうにも個人的にしっくりとこない。明るい。「ギラギラする」。十一代慶入、十二代弘入の碗あたりから20世紀の作陶は自らの主張をどんどんと強くしてゆく。金属成分だろうか、ところどころに金銀のたらし込みによる光の輝きを持つ。それはそれで、工業的な世界の良し悪し、あるいは自然観の何かしらを表現しているのだろうが、しかし私にはどうにも眩しすぎる。

 

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十一代 慶入《赤楽茶碗 碌々斎書付》
樂美術館ホームページより

http://www.raku-yaki.or.jp/museum/collection/collection_12.html

 
この光沢感が、天目か、織部碗であったならば、まだ受け入れられたかもしれない。

私は時々思うのだ、現代美術は「ものを多く語りすぎる」。たとえたった一色でキャンバスを塗っただけの絵画作品だとしても、作品は語りかけてくる。「この一色の絵はこういう情景を描いたものであり、それは人間の心理がこうであって、しかしその心理を生み出した社会背景はこうであり」云々。他方で、古き良きものが語りかけてくるものは非常に少ない。例えばヴィルヘルム・ハンマースホイの絵画のように静けさが支配する世界だからこそ、最も繊細なもの、小さきものの発する音、声は見る者の心へと語りかけてくる。

現代美術の多くは、社会的なもの、世界的なものについて語ることはあっても、個人的な問題に語りかけてくるものは少なくなった。

楽焼は一子相伝ながらも、作り方を厳密に守るわけではなく、その時代に合わせた作風へと「進化」することにその流派としての本質がある、という。ならば、その進化の結果がそこまでと煌々とした騒然とした世界であるというのは、現代世界自体が持つ特筆すべき性格なのかもしれない。

吉左衛門氏が芸術新潮の記事に語っていたように、もはや現代の茶において軽々しく茶を禅の世界の言葉で解説しようなどというのは、良策ではない。しかし現代世界の表層の端的な概観がそのようにビジーな世界であるならば、もはや陰翳礼讃は死に絶えたと考えるのが妥当であろう。特に「日本の芸術世界」に於いてそれが為されたことは大きい。

しかし、谷崎潤一郎は100年も前にこの衝撃を体現したのだろうか。

 

私立恵比寿中学

アイドルグループは大体、他のアイドルグループと比較される。「あっちはあぁだけど、こっちはこうだよね」みたいな。売れてる売れてないや、規模の大小、メジャーデビューしているしていないに関わらず。

本格的に「その人のファン」「そのグループのファン」であればあるほど比べられるのは嫌がる、「比較してマシなのを選んだ訳じゃない」と。マシだから選んだのではなく、心に刺さったものがあったから、ファンでありたい、推したいと思ったのだ。

私立恵比寿中学(以下、エビ中)はももいろクローバーZ(以下、ももクロ)の妹分グループである。

こういう紹介のされ方は間違ってはいないのだが、なんだか比較されてるようで、あるいは太陽の影でコッソリ活動しているみたいな感じがして、やっぱりどこか抵抗感がある。ただ、世間一般の「いわゆるアイドルというものに興味のない」層に対して解説をするならば、この選択をとらざるを得ないだろう、とも思うわけだ。


ももクロ、国立競技場ライブ映像作品のコメンタリーで、あるスタッフがこういう事を話していた。

「アイドルのライブは総合芸術だ。」

つまり、音響があって、照明があって、大道具のセットがあって、細かい小道具や特殊効果があって、衣装があって、衣装にはちょっとした髪飾りから手袋、ブレスレットの類のアクセサリー、靴に至るまでいろんなものが含まれていて、ヘアメイクがあって、楽曲があって、場合によってはバンドが入って、歌があって、ダンスがある。MCも、お客さんのために用意された何かしらのコーナーも、その場で突発的にやっているわけではもちろんなく、いろいろと練られてきたものが披露される。

あらゆる視覚的聴覚的芸術的要素を問われる。だから総合芸術なのだ。
クリエイターに近しい感覚を持つ人がそれを見れば、その細部へのこだわりと作り込みのされ方に感嘆することだろう。

アイドルは「歌」や「ダンス」といった特定の分野のスペシャリストではなく、とにかく総合力を問われるジェネラリストのスペシャリストだ。しかしその本質は他の分野の表現者とそう大きくは変わらない。

これにはももクロだから、エビ中だから、という違いはない。


エビ中。8人組アイドルグループ。ももクロの妹分。
妹分といっても、ももクロは2008年結成でエビ中が2009年結成。その下のチームしゃちほこが2011年結成。さらに持ち曲数(リリースされている曲数)もももクロが合計170曲くらいに対して、エビ中は140曲程度。チームしゃちほこが70曲くらい(以上2017年2月時点)だから、ほとんどももクロと変わらないくらいのキャリアがある。

曲が多いということは、それだけ表現できる世界観の幅が広いという意味に直結していて、だからエビ中のライブも毎回面白い。

2016年9月にリリースした最新シングル「まっすぐ」も、聞けば聞くほどいい曲だなぁ、と思う。一方で「夏だぜジョニー」 のようなワチャワチャした極みのような曲があり、一方で「アンコールの恋」のような切ない恋心の曲があり、さらに「金八DANCE MUSIC」のようなコメディ曲あるいはネタ曲があり、さらに「いい湯かな」のような家族を想う曲があり、「禁断のカルマ」のようなファンタジー観の強い曲があり、様々だ。

 

私立恵比寿中学「夏だぜジョニー」

https://youtu.be/csJzMzMFiPE

私立恵比寿中学「禁断のカルマ」

https://youtu.be/1Ummhp5G03g

私立恵比寿中学「手をつなごう」

https://youtu.be/68WSrqdaoGU


ももクロと違う点は何か。完全に個人的な印象だが、ももクロは開拓者魂に満ち溢れていて、道なき道をガツガツと鉈を振りまわしながら、あらゆる変幻自在のカードを駆使して進んでゆく。相手のパーソナルスペースにも知らぬ間に入り込んでいて、ガシッと心掴んでいく。

対してエビ中は全体的に平和主義。争いを好まず、「人を思う」という事に特に敏感で、なので相手を思いすぎるが故にメンバーほぼ全員人見知りで、あまりファンの側にもアタックをかけてくるような事はしない。エビ中と一緒に仕事をした人たちは口々に「最初はクールで無口な人だと思った」みたいなコメントを残している。

2014年に旧メンバー3人が卒業する時はずっと泣き続けた最年長の真山りか。その後まだ中学生で不安感いっぱいでエビ中に新しく入った小林歌穂、中山莉子(カホリコ)に、「エビ中に入ってくれてありがとう」と言葉を、何度も掛け続けた安本彩花。深いぬくもりとガラスのような傷付きやすさの両方を内に持ったグループだと思う。

エビ中チーフマネジャー藤井さん(校長)はこう言う、「アイドルグループとして永遠の可能性を持っているのはももクロだけ」。いつかは卒業や解散をするアイドルグループなのであれば、その後もしっかりと「芸能人」として仕事を受けて、食べていけるようなある程度の下地をアイドルグループ活動の中に作っていかないといけない。

だからこそ、エビ中はソロ活動が多い。

タモリ倶楽部電車特集に度々登場する廣田あいか。アニソンを複数ソロでリリースしている真山。主演を含む複数の映画に単独で出演経験もある柏木ひなたNHK Eテレに一人出続けている安本。秋田ローカルラジオに自分の番組を持つ小林。深夜テレビ番組でMCをしていた星名美怜。モデルとしての複数の雑誌上で定期的に登場している中山、そして松野莉奈

ももクロより全然多い。


これが実際にできるのは個々人の技量の為せる技であり、だからこそエビ中には「主要メンバー」や「センター」といったものはない。全員がそれぞれ個が立っていて、全員が主要メンバーだ。

俯瞰的に見ると、ももクロのほうが全く突然変異型モンスターであり、エビ中のほうがむしろ王道アイドルのように見える。どっちのほうが良いということはない。
どちらも違う面白い側面をもっていて、どちらも大変魅力的で、それはまるで車の両輪のように絶妙なバランスで走り続けている。いや、むしろエビ中のほうが「寄り添っていたい」と思わせるグループといっていい。

前出の「まっすぐ」もまさにエビ中らしい、まっすぐな曲だ。

 

私立恵比寿中学「まっすぐ」

https://youtu.be/gvBdo0Pm5tI


ただ、そんなエビ中だからこそ、むしろ「奇をてらう」こと「大きな変化を起こす」ことには不慣れだ。

エビ中の存在はその前から知っていたし映像も見ていたが、一気に興味が湧いたのは2014年の武道館ライブ「合同出発式」の、特に安本彩花の「またあえるかな」を見た時からだ。まっすぐに、卒業する3人を想って歌ったこの歌には大きく心を揺さぶられた。

それから、何度かライブを見ているが、個々の技量の深さが分かるだけに、もっと違う物が見れるんじゃないかなぁ、というもどかしい気持ちがいつもついて回ってきた。柏木ひなた廣田あいかという歌に定評のあるメンバーを有するが故に、特に。エビ中としてさらに飛躍するには、もう一皮剥けることが必要なのではないかな、と。

その印象に対する答えも、エビ中は模索していたように思う。2016年4月にリリースしたアルバム「穴空(あなあき)」はエビ中にしてはかなり異色で実験色の強い作品だった。「俺たちぜってーアナーキー」と叫ぶ、ユニコーンのABEDONさんによる楽曲「ゼッテーアナーキー」は結構振り切ってみたな、と思う。ただ、「まっすぐ」を聞くに、違う方向も見始めたようだが、しかしエビ中としての芯はブレなかったようだ。

2016年年末のエビ中大学芸会「オーシャンズガイド」(1年の締めくくりライブ)はとても良かった。今までにないほど「もどかしさ」のないライブだった。新旧楽曲のバランス、BPMだけでなく曲想としても緩急のあるセトリ、世界観を丁寧に表現した舞台空間。「まっすぐ」でぶわっとなったところからの、岡崎体育「サドンデス」で盛り上がり、HERE尾形回帰「モラトリアム中学生」の骨太のロックの中に切なさに満ちた曲で本編を締める。そしてエビ中の歴史に刻み込まれてきた楽曲、前山田健一「永遠に中学生」でアンコールを締める。いいライブだった。「これが小慣れてきたら、もっともっと上に行くんだろうなぁ」そんな感じさえ持っていた。エビ中の進む未来が、ぼんやりとその姿を現しだした、そんな瞬間を見たライブだった。

年が明けて6人いる高校生メンバーのうち松野莉奈を含む4人が今年高校を卒業し、いよいよこれから活動の幅もより広がるだろう。未来は明るいだろうと思った。

その矢先だった。

 


僕はその先に繋げる言葉を見つけられていない。

ただ、ただ、「こんなこと、あってたまるもんか」という言葉だけが、頭の中を駆け回っている。

 

りななん、永遠に。

 

松野莉奈「できるかな」

 https://youtu.be/f0I4_rWHUnc

 

伶楽舎/武満徹「秋庭歌一具」

2016/11/30 伶楽舎第十三回雅楽演奏会

芝祐靖「露台乱舞」
武満徹秋庭歌一具

ダンス 勅使河原三郎

 
紀尾井だったり初台だったり、過去何回か雅楽を見に来ているのだが、東京楽所と伶楽舎の違いなのか、「あれ?雅楽ってこんな感じだっけ?」とふと思う。いや、過去にも伶楽舎の演目は見てるはずだが。

 何より、2006年にオーケストラ・アンサンブル金沢東京公演で東京楽所と披露した石井眞木の「声明交響II」で見た荘厳な雅楽の印象が強いのだが、今日見た雅楽はどちらかというと「ファンキー」という言葉のイメージが近く、随分と荘厳とは対極な雰囲気の雅楽を見たなぁ、という印象。そして、雅楽の幅広さと奥深さを知ったようでもある。
 
観客に20代くらいの若人が多い。いささか謎だったが、これはコンテンポラリーダンスの第一人者勅使河原氏との共演が理由か。それでこのファンキーな雅楽とコラボして「魅せる」というのは、企画者の辣腕を見せつけられた感じもある。前述したような雅楽の「荘厳」を求めて来た方には、違和感のある公演だったかもしれないが。
 
芝祐靖のほうは、彼の時代の「うたげ」を再現した形。導入の「うた」から閉宴の「うた」に至る、一つの宴。照明も白びた朝焼けから、昼間の緑の映え、そして橙から紅、漆黒へと移ろいゆく夕暮れへ、と1日を通して過ぎてゆき、日がな一日続く楽しげな宴の様を映し出す。

うたい、おどり、時に酔っ払いさえも出現するが、その時間感覚はゆったりとしており、酔っ払いが他の演者に絡む様もどこか雅びである。緊張感と和やかさが同居していて、なんだか心地良い。

 儀式的な感じは全くといっていいほどに、ない。

 

 武満徹

 宮内庁式部職楽部の演奏を擦り減るほど聞いていたけども、「あれ?秋庭歌ってこんな音楽だったっけ?」と思ったのが第一印象。悉くCDで聞いていた内容と違う。

 舞台上の管弦と2階客席3方に分かれた管楽が、お互いにその響きを木霊してゆく。悠久の響きという感じは、ほとんどない。その響きは実にコンテンポラリーであって、CDで体験できなかった音空間がそこに繰り広げられている。

たまに聞いた事のある旋律が耳に入ってくるものの、それ以外はがっつり現代音楽らしい、複雑怪奇さが匂ってくる音楽。この曲にはそんな印象は今まで持っていなかったのだが、それが武満の意図だったのか演出によるものだったのか、そこからよく分からなくなる。

 という側面もあったからかもしれないが、勅使河原氏の、ゆっくりとゆったりとしながらも一つ一つの所作、指先の動きまでもがどこまでも美しく、言葉は無いが多くの事を語りかけてくるダンスがあまりにも凄すごて、ただそれを見ているだけではその世界に深く深く引きずり込まれていき、と同時に音楽がますます遠い存在になっていく。見ながら聞く、という作業に実に難しい演目。

 空間的に、ファンキーだ。

 

 雅楽を「儀式的な音楽」という認識だけで見ようとすれば、今日の構成はどちらの曲も違う。むしろ、儀式という括りの中に求められる芸術性よりも、遥かに遠くを目指した芸術性がそこにあるようにも思う。

儀式性を重んじたからこそ、雅楽仏教へも上手く取り込まれてきたわけだし、宮中行事として一千年を優に超える歴史を持つことができたわけで、そこが雅楽としての本流という立ち位置であるのだろうな、と思ってきたわけだ。が。

雅楽という音楽世界の理解を、私は今まで間違って捉えていたのかもしれない。

ピーターラビット展〜ビアトリクス・ポター生誕150周年

@Bunkamura ザ・ミュージアム


イングランド湖水地方の、雄大だけど静かでのどかな大自然と田舎暮らしの中にあって、その畑や森で暮らすウサギやリス、ネズミたちの小さな冒険の世界。

展覧会の中でその物語の1つ1つが丁寧に説明されていたこともあってか、会場全体がピーターラビットの世界の草木がそよめくような風が吹き、その香りさえ漂ってきそうな雰囲気で、とても心地よい。

 

ビアトリクス・ポターの絵を挿絵ではなく絵画として見る機会はなかなか貴重だろう。そして、どうしても印刷物だと色彩のコントラストが強めに出てしまうが、実際の原画はもっと柔らかい日差しが差し込んでいて、さながらカミーユピサロの描く印象派の風景画でも見ているようである。

 

博物学に興味持ち、死んだウサギを解剖して骨格を調べたポターらしく、描かれたどの動物たちも、キャラクターでありながら変にデフォルメされすぎない。絵の中のウサギだが触ればふんわりと毛並みが柔らかく、血の通ったいきものの温もりや、お尻のふんわりずっしりした感じ、息使いによるお腹の動きさえ感じられそうなリアリティがある。なでれば鼻をひくひくしそうな!そこが、いわゆるマンガキャラクターとは違う。実にかわいい。

小動物としての温もりや柔らかさを残しながら、しかも解剖学的にそこまで「変じゃない」動きを残しながら、ある時はホクホクとにんじんをほうばり、ある時は捕まりそうになって涙を流して泣く。そこに、ポター自身の並々ならない動物たちへの愛情が垣間見える。

 

そんな動物たちが印象派の風景画のような世界で二本足で立って洋服を着て大冒険するのだから、どこか現実と空想が絶妙に交錯してて、藤子・F・不二雄が描いたSF「すこし、ふしぎ」が、遠い異国の地で100年も前に違う形で実現されてたんだなぁ、と思いを馳せる。

 

日本のキャラクター文化はデフォルメが過ぎる感があるから、そこに食傷している人にとっては逆に新鮮なのかもしれない。


子供たちは、そんなピーター・ラビットの世界に入り込むことで、動物の生態や動物に向けられる愛情、自然保護や、ファンタジーとしてのSF「すこし、ふしぎ」や、印象派風景画の世界や、いろんなことを吸収していくんだろうな。

 

とても心地よい展覧会だった。

 

単独者たちの王国〜めぐりあう響き

サントリー芸術財団サマーフェスティバル2016

ザ・プロデューサー・シリーズ

佐藤紀雄がひらく
〈単独者たちの王国〉〜めぐりあう響き

 

・クロード・ヴィヴィエ「ジパング
・マイケル・トーキー「アジャスタブル・レンチ」
武満徹「群島S.」
リュック・フェラーリ「ソシエテII〜そしてもしピアノが女体だったら」
・(アンコール)武満徹「波の盆 - 第1曲」

 

佐藤紀雄 指揮
アンサンブル・ノマド

 

20世紀というドビュッシーからシュトックハウゼンまでいた激動の音楽史の中で、作曲技法における主義のコンテキストから一歩はずれ、自らの信念によって自らのの美的世界を独自に生み出した「単独者」たちの饗宴。

 

今日の演奏に、「芸術」という無限に壮大なものの中の、最も奥深い本質を垣間見たような気がした。


ヴィヴィエ「ジパング」。
弦楽合奏だが多彩なボウイングを駆使することで、その音色の幅が豊かになる。しかして、その音は全体的にどこかドライであったように思えたのは席のせいか、曲のデザインゆえか。それはどうにもまるで月夜の砂漠のような印象でもあり、「ジパング」という名前の不思議にふわっと包まれた。(曲目解説上にも詳しい由来はなかった。)

 

トーキーの「アジャスタブル・レンチ」。
曲目順でこの位置に最適な、クッションのようなオシャレなお菓子を置いて壮大なメイン料理に備えるような、とにかくポップで可愛らしい感じの音楽。木管楽器がリードする小粋でノリのいい4小節一区切りのリズムに乗せて、様々な楽器が交差し発展しながら音楽が展開していく姿は、さながらミニマルミュージックのような心地良さ。

 

そして、曲順が前後するが、問題のフェラーリの「ソシエテII」。
まずピアニストが蛍光イエローのポロシャツ、ハーフパンツ、スニーカーというランニングウェアで登場したところから、何やら不穏な雰囲気。打楽器ソロ3人も動きやすい格好ではあったが、打楽器というパートの性格上、それはそれほど違和感はなかった。

 

この音楽の内容はといえば、20世紀中盤に一種流行した無調無拍子の前衛感丸出しの音楽。ピアノは内部奏法やら、腕全体で鍵盤を叩き音をクラスタリングしたり、ピアノの縁を鞭で叩いたりと自由奔放。打楽器も3人がそれぞれ舞台上を楽器や楽譜、マイクを持ちながら縦横無尽に動き回りとにかく叩きまくる。ピアノの中にボンゴを置いて、ボンゴとピアノを同時にマレットやらドラムスティックやらで叩きまくる。かと思えば、打楽器奏者がピアノの前に座っているピアニストを引きずりおろして自らピアノの鍵盤を叩く。弾く、というより叩く。ピアニストはヤケになったか、打楽器を叩き出す。指揮者は演奏の途中で何かを放棄したかのように、指揮台の隣に置かれたソファに座っておもむろに新聞を読み始める。一応背後にオーケストラがいるのだが、この4人の熱量が凄すぎて、聞いた後に「あれ?どんなことやってたっけ?」と思われても致し方ないのかもしれない。もはや「この音楽に楽譜というものは存在するのだろうか?存在する必要性はあるのだろうか?」とさえ思うほどの音の嵐。

 

その音がふっと消え、指揮者は観客に礼をする。観客の拍手と「ブラボー」の叫び。指揮者は舞台袖へ捌ける。かと思えば突如ピアニストがオーケストラに向かってさらにしっちゃかめっちゃかな演奏を再開。指揮者は走って指揮台に戻り、演奏を「止めさせる」。
再び拍手。

 

「呆気にとられる」とはまさにこのこと。

 

目の前に座っておられた女性が演奏中その熱量にやられたようで、終始クスクス笑い続ける。最初怪訝に思っていたが、打楽器奏者がピアニストを引きずりおろしたあたりから、「あぁ、これは狙ってやってるわけだから、笑うのが正解かもしれない」と思えてきた。プロデューサー佐藤氏自身によるプログラム解説にある、「(作曲者は)作品から逃れられない宿命を演奏家にあずけたあと、自分は一歩引いたところで笑みを浮かべて眺めて楽しんでいたに違いない」という言葉をふと思い出し、笑いも含めたところで作曲家の掌の中にいたんだろうな、とさえ思った。

 

人間、思想、哲学、倫理、宗教、国家、政治、戦争、自然、愛、希望、美、憎しみ、卑しみ、醜さ、絶望、死、生…この世の全ての表現対象を遥かに超えてそのずっと奥底の、最も根深いところに「笑い」を置いたことによって、芸術というものの重さと、それに対して表現家のやっていることの軽さを同時に目に見える形で提示したのではないだろうか。


「だかこそ」なのだが、フェラーリの前にやった武満徹の音楽が必要だったのだ。この武満徹の緻密で圧倒的に高い完成度があったからこそ、前述の主張が極めて立体感を帯びてくる。

 

武満の「群島S.」は、5つのグループに分かれたオーケストラが、それぞれに響き合い、さながら「群島」の自然美を醸し出すわけだが、これがとんでもなく美しい。

 

武満の音楽はシベリウスと少し似通ったような雰囲気を個人的に感じていて、それは何かといえば音の数が少なくなればなるほどに澄み渡った美しさがどんどん増していく。少ない音の集合で透き通った大自然を表現してゆくがゆえに、アラが出れば濁りはよく目立つ。

 

「群島S.」はその名の通り、やや短めなフレーズがふとした無音を飛び越えながら繋がっていく。それぞれのフレーズの一つ一つの仕舞い方が濁りなく丁寧であるほど、その無音は美しく光り輝く。そしてそれは実に美しいものであった。客席に別れた2本のクラリネットの響き合い、途中のトランペットソロ、ファゴットソロ、ホルンソロ。どれも美しい。「武満徹の音楽を体験する」ということに対しては十二分な完成度の高い音楽だった。

 

「単独者の王国」、各作品は全くその国籍も時代も作風も方向性も編成さえもバラバラではあったが、こう一通り見終わってみると、最初から最後に至るまで実に自然な流れの中で「芸術とは」という核心へと知らぬ間に徐々に迫っていく、実に意義深い演奏会であった。

 

凄いものを見た。